2012年3月13日火曜日

南塚古墳

この古墳は、後期の前方後円墳で昭和29年に病院の増築工事の時に発見されたものである。過去の文献などによると全長約50m、後円部径約30mを測る。横穴式石室が後円部中央にあり、主軸と平行し西に開口した右片袖式で、石室の長さ6.4m、幅2.5m、高さ約2.5m、羨道幅1.2mであった。検出当時は、石室内部に組み合わせ式石棺が2つ置かれ、前棺は主軸と平行に置かれ、2枚の底石の上に1枚岩の長側石を、小口外側に短側石をそれぞれにたて、面取りをほどこした2枚の蓋石で構成されていた。内法の長さ約1m、幅0.8m、高さ0.6mで、内部に水銀朱が塗布されていたという。棺内よりより出土の副葬品には、ガラス玉・金銅製金具があり、石室内前まわりには、衝角付冑・須恵器・馬鈴・挂甲・杏葉・水晶三輪玉・鉄鏃・鉄矛・金銅製沓破片、革帯金具がある。また、奥棺は底石2枚・東側の石二枚・西側の石1枚に南北両短側石をはめこみ、2枚の蓋石で構成されていた。棺内北側に凝灰岩の石枕があり、棺身内面革面に酸化鉄の朱が塗布され、西側石にのみ縄掛突起が造り出されている。棺内の副葬品としては、ガラス小玉・水晶切子玉・ガラス丸玉・金銅製品破片がちり、棺外には、轡・杏葉・雲珠・鞍金具・輪鐙・革帯金具等の馬具・鉄斧・石突・鉄鏃・須恵器等が出土している。現在は埋葬施設の石棺が残っているが、昭和52年に移築され、第6病棟と第7病棟間の中庭の片隅に置かれている。しかし、風化が激しく1部がセメントによって固められており、検出当時とは異なっている。石棺の材質は、二神山系の石材を使っている。
所在地:大阪府茨木市室山1丁目




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