2017年9月30日土曜日

安倍晴明生誕伝承地

安倍晴明(921~1005)は、平安時代の高名な天文博士・陰陽師である。記録上には天徳4年(960)天文得業生として現れ、寛弘元年(1004)左京権太夫として名を連ねる。多くの事柄を予言するなど、その伝承は『今昔物語』、『大鏡』などで流布され、狐と人間の婚姻説話で知られる。当社は晴明の子孫という保田家により、寛弘年間(1004~1012)に創祀されたという。
所在地:大阪府大阪市阿倍野区阿倍野元町5安倍晴明神社
最寄り駅:阪堺電鉄「東天下茶屋」下車南東約100m


もと熊野街道

平安時代中期から鎌倉時代初めにかけて熊野信仰が盛んになり、王侯貫族をはじめ庶民に至るまで熊野詣をした。それは「蟻の熊野詣」と形容されるほどであった。京から淀川を船で下り、窪津(くぼつ)(八軒家)に上陸した人々は、上町台地を縦断、途中点々と所在する王子と呼ぶ遥拝所兼休憩所をたどりながら、熊野三山に到った。阿倍王子神社は阿倍野王子の跡であり、市内唯一残るものである。前の道は熊野街道で、この付近と万代池西側や遠里小野町付近などは、旧街道の面影をのこしており、歴史の顕彰が行なわれている。
所在地:大阪府大阪市阿倍野区阿倍野元町9阿倍王子神社前
最寄り駅:堺電鉄「東天下茶屋」下車南東約200m
 
 

住吉高灯籠

わが国最初の灯台として、鎌倉時代末の創建というが不詳。もとは、現地から西約200mのところ(顕彰碑が立っている)にあったが、台風で倒壊したり道路工事で撤去されるなとで当地へ移築された。当時は海岸近くにあたり、点灯すると十分灯台の役目を果たしたという。
所在地:大阪府大阪市住之江区浜口西一丁目
最寄駅:市バス「住吉公園」下車北すぐ
 
 
 
 
 

芭蕉の句碑(住吉公園)

「升買て 分別かはる 月見かな」と刻まれた、俳人・松尾芭蕉の句碑。芭蕉は元禄7年(1694)9月、大坂で派閥争いをしていた2人の門人を仲裁するために故郷伊賀上野から奈良をすぎ暗峠を越えて来坂した。13日に、住吉大社の宝の市神事へ参拝し、参道で売られた升を買った。折から体調が悪かった芭蕉はその夜、招かれていた月見の句会には出席せず宿へ帰った。その翌日の句席で「升買て......」と詠み、「自分もついつい一合升を買ってしまった。すると気分が変わって月見より宿に帰って早く寝た方が良いような気がした」と、洒落っ気を利かして、前日の非礼を詫びたという。その後、芭蕉は発熱下痢を伴い、大坂の花屋仁右衛門方離れ座敷に病臥、10月12日夕方、51歳の生涯を閉じた。この宝の市を詠んだ句は、住吉公園東入り口に、明治元年(1864)芭蕉170回忌に大阪の俳句結社・浪花月花社が建てたもの。
○所在地
〒559-0002大阪府大阪市住之江区浜口東1-1-13
 
 
 
 

すみよし村ぎゃらりー

古い民家をリニュ―アルしたもので、様々なイベントや集会が行われています。ここは、住民と大阪市が協力して、まちづくりを行っているところです。
所在地大阪府大阪市住吉区住吉1-9-16
 
 
 
 

2017年9月27日水曜日

大國寺紅葉まつり2017

晩秋を飾る、大國寺の紅葉まつりが開催されます。丹波篠山の紅葉の名所として有名で、観光地の喧騒を離れて紅葉狩りが楽しめます。千成まめ、コケ玉、山野草などの販売も行われます。
所在地:〒669-2223兵庫県篠山市味間奥162
開催期間:2017年11月1日~30日
交通アクセス:JR宝塚線「篠山口駅」から車約10分もしくはレンタサイクル約15分
主催:大國寺
料金:本堂拝観料800円(入山料含む)、入山料300円※入山料は18歳以下は無料
問合せ先:大國寺079-594-0212

但馬安國禪寺ドウダンツツジの紅葉一般公開2017

豊岡市但東町にある但馬安國禪寺で、本堂裏庭にあるドウダンツツジの紅葉にあわせて、庭園の一般公開が行われます。樹齢100年以上の大木は本堂の座敷から見ると、額縁に入れられた絵画のように美しいと評判です。16時からはライトアップも行われ、幻想的な光景を楽しむことができます。
所在地:〒668-0324兵庫県豊岡市但東町相田327
開催期間:2017年11月7日~19日拝観時間/8:00~19:00(入門は18:30まで)、ライトアップ/16:00~19:00
交通アクセス:JR山陰本線「豊岡駅」から「出石行」の全但バス「出石」~車約20分
主催:但馬安國禪寺
料金:拝観料/大人300円、中学生以下無料
問合せ先:但馬安國禪寺0796-54-0435

東大禅寺(弁天塚古墳)

東大禅寺は大阪市住吉区にある黄檗宗の寺である。弁天塚古墳(前方後円墳と推定されている)は小字名の山ノ中より山ノ中古墳とも呼ばれ、現在その墳丘上に東大禅寺が建ってある。江戸時代の『東摂陵墓図誌』に拠ると「古塚 在住吉郡住吉村 字辨天塚 立木雑樹少ヽアリ由緒 不明」と記されており、この当時まだ東大禅寺は建立されていなかった。なお建立された年月は未明である。さて東大禅寺では、本尊の毘沙門天を本堂に祀り、その脇侍に向かって左側には善膩師童子を、右側には毘沙門天の妻とされる吉祥天を置く。その他に本堂には隠元禅師像、荼枳尼天(だきにてん)像を安置する。(※なお大阪市の有形民俗文化財に荼枳尼天像が登録されたことをうけ、修復のために外部に持ち出されており、現在安置されていない。)本尊の毘沙門天像の背後には厨子があり、そこに弘法太師が造ったと伝わる木造の毘沙門天像1柱が安置されている。なおこの厨子は数年に一度しか開帳されないため、普段この像を拝観することはできない。この像について教えていただいた際に、廃寺となった住之江区安立の亀林寺でも毘沙門天を祀っていたことを思い出した。毘沙門天自体を祀る寺院はあまり多くはないので、実はこれらは同じ像ではないのだろうか、とふと疑問を抱いた。東大禅寺では関帝や華光菩薩をはじめとする伽藍神像は安置していない。やはり菩提寺と比べるとやはり規模が小さいことが要因の一つではないか、と考える。
所在地:大阪府大阪市住吉区万代6丁目13-9


津守廃寺

1940(昭和15)年に、このあたりの道路工事や区画整理工事に伴って、白鳳時代(七世紀後半)の瓦や土器などの遺物が発見されました。このことから、近辺に古代のお寺があったのではないかと考えられ、住吉大社や住吉の津とかかわりが深い古代氏族の津守氏から、津守廃寺と命名されました。津守廃寺の後身と思われる津守寺というお寺が1868(明治元)年まで現在の墨江小学校のところにありました。津守寺は901(延喜元)年に創建されたと伝えられ、薬師如来をまつっていました。住吉大社とつながりがあったことがわかっています。また、この津守寺に参拝した人に配られたお札を印刷した版木が残っています。そこには本堂にまつられていた薬師如来が描かれ、当時の様子を今に伝えています。
所在地:大阪府大阪市住吉区墨江2墨江小学校前



大歳社

大歳社は、大阪府大阪市住吉区墨江にある神社。大歳神社とも。住吉大社の境外末社である。参拝すれば、住吉大社とは別に御朱印を頂ける。『延喜式神名帳』にある「草津大歳神社(摂津国・住吉郡 )」に比定される式内社(小社)の論社。本社境内より南西に少し離れた地、小川の南岸にある。この地は『万葉集』にも歌われている浅沢池で、浅沢社と隣接して鎮座している。御祭神は社号通り大歳神。稲の収穫の守護神とされ、大阪商人の間では、特に集金の守護神として信仰されてきた。今でも盛んに初辰まいりが行われ、当社は種貸社・楠?社・浅沢社と続いた最後の第四「願いを成就」である。小石に大の字が書かれたものが授与される。当社を式内社に比定するのは、かなり古くから言われてきたことではあるが、いずれも住吉大社に絡む古文書。他の論社には、元は住吉郡依網村大字苅田(現 住吉区苅田)に鎮座していた草津大歳神社がある。草津大歳神社は明治42年(1909年)、大依羅神社に合祀されており、詳細は不詳。ただし、当社を式内社に比定する見解は、本社・住吉大社の勢威に伴って、社頭盛況を呈した当社を、近世において式内の旧社と誤認したもの、というのが有力。
【ご利益】
集金満足・心願成就、商売繁盛
住所:大阪府大阪市住吉区墨江1-5-16



経塚

晴明丘公園にある経塚。この石碑は元は、現在北畠顕家の墓となっている「将軍塚」の近くの塚に建てられていたが、道路工事などで転々とし、昭和の初期ごろから北畠公園の北の民家の前庭に移されていた。1995年(平成7年)に、現在地に移転。この塚の由来については、聖徳太子が諸経の文字を、一字ずつ一石に書いて、塚に納めたとする説と、阿倍王子神社の縁起書である「阿倍権現記」に826年(天長3年)の夏、疫病流行に際し、弘法大師が、王子神社に入り一千部の薬師経を書写し、塚に納めたとする二つの説がある。いずれにしてもこれらの塚は現在地とは何の関係もなく、石碑のみが由緒あるものらしい。
所在地:大阪府大阪市阿倍野区阿倍野元町、晴明丘公園内
最寄駅:市バス「北畠公園前」下車、信号を渡り西へ、阪堺線手前「もと熊野街道」を北へすぐ、公園の入り口にあり




榎津寺跡

現在、OPH(大阪府住宅供給公社)杉本町が建つ場所は、古代の寺院「榎津寺」があったと考えられている場所です。2006年に団地の建替に伴い現地を発掘調査したところ古墳時代から室町時代にかけての
掘立柱建物 ・竪穴建物や溝、井戸などの遺構が見つかりました。
所在地:大阪府大阪市住吉区遠里小野3-10杉本町団地内


やぶもみじまつり2017

兵庫県下でも有数の紅葉の名所として知られる養父神社で、見頃にあわせて「やぶもみじまつり」が開催されます。地域物産品の販売やお茶席、夜間ライトアップ(日没から19時頃)などが行われるほか、養父金管バンド演奏会も予定されています。
所在地:〒667-0112兵庫県養父市養父市場840
開催期間:2017年11月11日~23日
開催場所:兵庫県養父市養父神社
交通アクセス:JR山陰本線「八鹿駅」から「養父・和田山方面行」のバス約15分「養父明神」下車
料金:環境整備協力金100円
問合せ先:やぶもみじまつり実行委員会079-665-0252
http://www.yabu-jinja.jp/

2017年9月24日日曜日

龍野公園紅葉谷の紅葉2017

龍野公園紅葉谷の入口付近には、木漏れ日も通さないほどのカエデが茂り、ピーク時には一面が深紅に染まり、訪れる人を魅了します。園内には「文学の小径」、「哲学の小径」、「童謡の小径」などの遊歩道が整備され、散策も楽しめます。11月24日から26日には「オータムフェスティバルin龍野」が開催され、蔵や寺院などでのコンサートのほか、手造り品販売など、約150か所で250のイベントが行われます。※駐車場があります。
所在地:〒679-4170兵庫県たつの市龍野町中霞城
開催期間:2017年11月下旬~12月上旬
交通アクセス:JR姫新線「本竜野駅」から西へ徒歩25分
問合せ先:たつの市観光振興課0791-64-3156

有馬大茶会2017

昭和25年から始まった太閤を偲ぶ行事「有馬大茶会」が開催されます。有馬温泉を度々訪れた太閤秀吉公は、千利休らと茶会を催し、地元の人たちを招いて有馬の風流を楽しんでいました。有馬温泉各所で献茶式や茶席が行われ、お茶を楽しみながら秋の有馬温泉をゆっくりと過ごせます。
所在地:〒651-1401兵庫県神戸市北区有馬町
開催期間:2017年11月2日~3日
開催場所:神戸市有馬温泉内各所
交通アクセス:神戸電鉄「有馬温泉駅」下車、またはJR神戸線「三ノ宮駅」から「有馬温泉行」のバス約40分「有馬温泉」下車
主催:一般社団法人有馬温泉観光協会
料金:お茶券/前売券4500円、当日券5000円
問合せ先:有馬温泉観光総合案内所078-904-0708
http://www.arima-onsen.com/

十夜会2017

大念佛寺で十日十夜の別時念仏会が行われます。「十夜会」とも呼ばれ、この娑婆世界で十日十夜お念仏を喜び称えることは、最上の善であり、大きな功徳が授かるとされる無量寿経の説に由来する行事です。13時からお勤めがあり、お説教、詠讃舞踊のあと、17時頃から厄除けのおかゆがふるまわれます。
所在地:〒547-0045大阪府大阪市平野区平野上町1-7-26
開催期間:2017年11月14日13:00~17:00
交通アクセス:JR大和路線「平野駅」から徒歩5分、または大阪市営地下鉄谷町線「平野駅」から徒歩8分
問合せ先:大念佛寺06-6791-0026
http://www.dainenbutsuji.com/

大阪市建設局東部管理事務所東野田抽水所(旧大阪市下水道局東野田抽水所)

設計者建設者共に不詳。1927(昭和2)年建設。
所在地:大阪府大阪市都島区東野田3-3-30




旧真田山陸軍墓地

広さ約1万5千平方メートルで、現存する約80の旧陸軍墓地では最大規模。1871(明治4)年に旧兵部省(陸・海軍省の前身)が日本初の戦没者埋葬地として開設し、陸軍第4師団の管轄下に置かれた。戦後は国から大阪市へ貸与され、遺族らでつくる真田山陸軍墓地維持会が管理する。
住所:〒543-0013大阪市天王寺区玉造本町14-83



報恩講2017

報恩講は、宗祖親鸞聖人の90年にわたるご苦労を偲び、その徳を讃え、ご恩を報恩する、門信徒にとって最も大切な法要です。期間中は、聖人が好んだとされるあずきがゆの接待をはじめ、仏具や日用品のバザーなどが催されます。
所在地:〒541-0053大阪府大阪市中央区本町4-1-3
開催期間:2017年11月11日~16日
交通アクセス:地下鉄御堂筋線「本町駅」2号出口からすぐ
問合せ先:本願寺津村別院(北御堂)06-6261-6796
http://www.kitamido.or.jp/

2017年9月20日水曜日

池田家住宅

旧熊野街道と旧住吉街道が交差する角地に建つ店舗兼住宅。元禄年間に酒造業をはじめ後に味噌醸造を行ったと伝える家で,住宅は旧熊野街道に面した土蔵造,2階建で2階に虫籠窓を開く標準的な平入町家である。「住之江味噌」の製造元として広く親しまれている。
所在地:大阪府大阪市住吉区住吉1-9-22


浅沢神社

住吉大社の境外末社で市杵島(いちきしま)姫命ほかを祭る。奈良時代からこの付近は浅沢小野とよばれ、池沼も多く細江川が流れて「かきつばた」の名所でもあった。その様子は万葉集にもよまれている。現在、社の周囲に小さな堀をめぐらせ、名残りの「かきつばた」が植えられている。
所在地:大阪府大阪市住吉区上住吉二丁目11
最寄駅:阪堺電鉄「細井川」下車東約200m



高谷家住宅

大正期に開発された住宅地内に建つ初期の洋風住宅。鉄骨構造で外壁はコンクリートブロック積みとする。内部は,和洋併用で全体的に質の高い意匠にまとめる。風見鶏付の銅板切妻大屋根は,この地域のランドマーク的存在で広く親しまれている。
年代:大正13頃
所在地:大阪府大阪市住吉区帝塚山中3-8-18


源正寺楼門

知恩院末で,鉄道敷設等により中央区上本町より現地に移築。初重袴腰を塗込める竜宮造の楼門で,上層は出組,二軒繁垂木,入母屋造,本瓦葺とする。蟇股や肘木の形式・絵様に近代らしい意匠が充溢するとともに,旧熊野街道に面し竜宮門として親しまれている。
年代:明治22/大正12移築
所在地:大阪府大阪市阿倍野区阿倍野元町18-34



我孫子鋳物師ゆかりの地

中世後期には、当地に鋳物師集団が居住し活躍していた。最近の発掘調査によると、14~15世紀の銅・鉄製品鋳造用の炉や鋳型が発掘されている。平安時代末以降、河内丹南には有力鋳物師集団の存在が知られている。当地の鋳物師はこの河内丹南の集団を源流とするかどうか不明であるが、室町時代宝徳3年(1451)の河内鋳物師に関係する文書には、我孫子・苅田・庭井などの鋳物師名のあることから、密接なつながりがうかがえる。天文年間(1532~1555)には織田信長の庇護もあり、河内鋳物師集団をしのぐ勢力をもっていた。
所在地:大阪府大阪市住吉区山之内元町3山之内元町公園
最寄駅:JR「杉本町」下車北約400m

一休禅師牀菜庵跡

一休和尚(1394~1481)が、晩年仮棲したところである。一休は後小松天皇の落胤と伝え、天衣無縫・反骨で終始し京都・奈良・堺など移り住んだ。文明元年(1469)奈良から堺に来て、住吉に居住していた。翌2年、堺の豪商尾和宗臨(大徳寺伽藍再興に尽力した)が、ここに一庵を設けて一休を招請した。一休はここを雲門庵と体し、弟子ともとも移り住み、数年後この空き地の一角に庵をつくり牀菜庵と号した。一休は文明10年(1478)には京都田辺酬恩庵へと去った。庵跡は明治初年まで、それらしき門跡や竹やぶが残っていたという。
所在地:大阪府大阪市住吉区上住吉二丁目6上住吉公園
最寄駅:南海電鉄「住吉東」下車南約300m


一運寺

住吉大社の摂社・大海神社の東側に隣接する一運寺(浄土宗) に大石内蔵助・主税父子と寺坂吉右衛門の墓がある。リーダの大石内蔵助良雄(よしたか)は、代々家老職を務める家柄で、1500石の扶持を得ていた。討ち入りの主役であり、映画やテレビでは、恰幅のよい役者がそれを演ずるが、事実は痩せっぽちの小男であったらしい。良雄は8歳の頃、朱子学の観念論化を批判して幕府からにらまれ、赤穂に配流された兵学者山鹿素行から、その教えを受け、また、16~7歳頃には、京で伊藤仁斎の堀川塾に学び、武芸は東軍流の剣豪奥村無我より剣術免許皆伝を授かっている。太平の世で、事件が起きなければ、平々凡々の一生を過ごしたと思われるが、事件発生後は城明け渡しから、討ち入りまでまで、性格や意見も違う同志を統率し、目的達成を果たしたリーダーシップ振りには感嘆させられる。45歳で切腹。内蔵助の長男である主税良金(よしかね)は 部屋住であったため、当初内蔵助は義盟に加えるつもりは無かったが、父と行動を共にしたいという本人の意志が強かったため、元服をさせ、名前も幼名の松之丞から主税と改めた。同志の中では最年少で、切腹したときは僅か16歳であった。寺坂吉右衛門信行は討ち入り同士の中で、唯一を免れた義士であるがその経緯には諸説あるようだ。身分は同志の1人吉田忠左衛門の足軽で、討ち入り本懐を遂げた後、泉岳寺に向かう途中、寺には入らず立ち去っている。「逃亡説」を始め、大石内蔵助の意を受けた「生証人説」等々、義士研究家の間では論議が盛んであるが、吉右衛門自身は広島浅野本家に報告後、忠左衛門の娘婿である、姫路藩士伊藤十郎太夫宅に身を寄せ、伊藤十郎太夫の転封にも、越後-三河刈谷-下総古賀とつき従い、忠実に働いている。後、旗本山内主膳家にも仕え、83歳で没している。(討ち入り当時は39歳であった)
所在地:大阪府大阪市住吉区住吉2-6-23
最寄駅:阪堺電軌「住吉」下車東へ、「大海神社」の斜め前






日本基督教団南大阪教会

村野が渡辺節建築事務所時代にアルバイトで設計した教会。オーギュスト・ペレのノートルダム・デュ・ランシー教会を思わせるデザイン。既に独立していた村野自身の設計により1982年に会堂は改築されたが、塔屋は保存再生された。設計は村野藤吾、建設は岡本工務店である。建設時期は1928(昭和3)年である。
所在地:大阪府大阪市阿倍野区阪南町1-30-5


大阪市立大学本館(一号館)

大阪商科大学本館として建設された鉄筋コンクリート造の建物。南面し,東西に長く伸ばした翼部,背面に講堂を接続し、正面中央玄関上部に塔を高く聳える。全体にクラシックな構成だが,簡略化した柱型や庇による水平線の強調などによる新たな造形志向が顕著。
所在地:大阪府大阪市住吉区杉本町3-3-138