2012年3月8日木曜日

誓願寺

大阪市中央区にある誓願寺に井原西鶴の墓があるのをご存知ですか。
井原西鶴は本名を平山藤五といい、1642年(寛永19年)に大坂鑓屋町で生まれた(後年名乗った井原は母方の姓)。近松・芭蕉と並んで元禄文化の花を咲かせた西鶴は、西山宗因門下の俳諧師として知られ、1680年(延宝8年)生玉社別当南坊で、1昼夜ぶっ通しで4千句を独吟、さらに1684年(貞享元年)住吉大社で一昼夜に23,500句を詠む才能の持ち主であった。この新記録樹立を機に西鶴の情熱は俳諧から、小説へと転向し、1682年(天和2年)小説の第1作『好色一代男』が、大阪の版元により初めて出版されたが好評であり、江戸でもベストセラーとなった。つづいて『日本永代蔵』、『世間胸算用』など鋭い観察と奔放な筆致で新天地を開いた。52歳を迎えた1693年(元禄6年)大坂鑓屋町の草庵で没した。
西鶴の墓がある誓願寺山門。戦災で本堂も繰りも焼けたため、一時途絶えた時期もあったが、毎年9月には「西鶴忌」が行われる。
西鶴の墓は1887年(明治20年)を前後する頃、誓願寺境内の無縁墓に押し込められていたのが発見された。発見者は諸説あり、幸田露伴であるとも、朝日新聞記者の木崎好尚であるともいわれている。墓は大阪市の指定文化財となっている。
所在地:
「誓願寺墓地」:大阪市中央区上本町西4丁目1-21
「西鶴終焉之地」碑:大阪市中央区谷町3丁目
誓願寺の最寄り駅
・近鉄大阪線「上本町駅」下車、徒歩約6分
・地下鉄千日前線「上本町駅」下車、徒歩約6分
・地下鉄谷町線「谷町九丁目駅」下車、徒歩約8分
・地下鉄千日前線「谷町九丁目駅」下車、徒歩約8分


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