2015年11月30日月曜日

伊丹廃寺跡

白鳳時代の寺院跡で、法隆寺式伽藍配置を持ちます。昭和33年に基檀の一部を発見、その後、発掘調査が行われ、昭和41年に国指定史跡となりました。金堂・塔の基檀、朱塗りの門などが復元され、史跡公園になっています。
○所在地
〒664-0012兵庫県伊丹市緑ケ丘4、5、7丁目地内
○交通アクセス
(1)阪急伊丹駅からバスで
(2)伊丹駅からバスで 





2015年11月29日日曜日

布施戎福娘コンテスト2015

街の駅クレアホール・ふせで、恒例の布施戎ミス福娘コンテストが開催されます。来年1年間を通じて、さまざまなイベントや布施および東大阪市内の公式行事に参加、出演するミス福娘が選ばれます。審査の合間には、映画券や豪華賞品が当たるゲーム(先着順)が行われます。
所在地:〒577-0058大阪府東大阪市足代北2-1-13-101
開催期間:2015年12月5日13:30~17:00
交通アクセス:近鉄「布施駅」~徒歩2分
主催:布施商店街連絡会
料金:入場無料
問合せ先:街の駅クレアホール・ふせ06-6618-0216
http://webfuse.jp/wp/

観音会座(修観音長寿大根煮)2015

本尊である国宝の千手千眼観音菩薩坐像が公開されます。千四十二臂の腕をつけた美しい観音様は、度々の災厄を免れて、損傷もなく当初の美しい姿をそのままに残す秘仏です。年度の最終の観音会座は「修観音」といい、長寿大根煮も振る舞われます。
所在地:〒583-0024大阪府藤井寺市藤井寺1-16-21
開催期間:2015年12月18日
交通アクセス:近鉄南大阪線「藤井寺駅」から徒歩5分
料金:毎月の18日御開帳の内拝料/有料
問合せ先:葛井寺072-938-0005、駐車場管理棟 072-955-0578

2015年11月28日土曜日

蓮興寺

蓮興寺は大阪市北区にある日蓮宗の寺である。平八郎の祖父(政之丞)の先妻と後妻、平八郎の父(敬高)の妻の墓があります。寺前には大塩家墓所の石碑が建てられています。
所在地:大阪府大阪市北区末広町1-35




川口運上所、大阪開港の地跡、大阪電信発祥の地跡

慶応4 年(1 8 6 8 )5 月1 日、川口運上所(大阪税関の前身)が開所しました。当時の運上所は現在の税関事務と外交事務を行っており、五代友厚が外国官判事に就任し、運上所の事務を行うようになりました。また同年7 月15 日には大阪港を開港。開港後、運上所の西側に長さ83 メートル、幅9 メートルの川口波止場を整備し、河口に4 0 0 間(約7 2 0 メートル)の堤を築きました。続いて明治3 年(1870 )には川口電信局が開設され、日本最初の電信線が神戸まで架設されました。
所在地:大阪府大阪市西区川口二丁目の9



津守新田会所跡

京都の横井源左衛門・金屋源兵衛によって元禄11年(1698)工事が始められ、3年がかりで72町歩(約7.1平方キロメートル)を干拓した。その後幾度かの天災で水没をくり返したが、元文(げんぶん)5年(1740)ようやくおさまった。津守小学校の校庭のところが新田会所跡で、ここには「向月庵(こうげつあん)」という庭園がつくられ、春日出新田会所の「八州軒(はしゅうけん)」と共に有名であった。
所在地:大阪市西成区津守三丁目1番66号



四ツ橋

四ツ橋は、「堀川の十字交差部(大阪市内に唯一存在した)」に、架橋されていた4つの橋を一括して称した名称、およびその周辺の地域の通称。その後、堀川は埋め立てられたため現在は交差点名や駅名として残存している。
○四ツ橋(橋)
長堀川と西横堀川(両方とも埋立)が交差する地点に「ロ」の字型に架けられていた4つの橋の愛称である。道路、水路、市電にとっての重要な交通の要所だった。
・上繋橋(かみつなぎばし)
西横堀川に架かる北の橋。1964年(昭和39年)撤去。
・下繋橋(しもつなぎばし)
西横堀川に架かる南の橋。1964年(昭和39年)撤去。
・炭屋橋(すみやばし)
長堀川に架かる東の橋。1970年(昭和45年)撤去。島之内西端の旧町名「炭屋町」に由来。
・吉野屋橋(よしのやばし)
長堀川に架かる西の橋。1970年(昭和45年)撤去。北堀江東端の旧町名「吉野屋町」に由来。

○住所
〒550-0013 大阪府大阪市西区新町1丁目4
○駅・アクセス
地下鉄四つ橋線 四ツ橋駅





2015年11月26日木曜日

日本基督教団島之内教会

大阪市内の繁華街に建つ。3階建、陸屋根。正面に大階段を構え、6本の角柱を並べる玄関を造り、化粧ブロックを使用し、正面性を打ち出す。設計者が開発した「中村式鉄筋コンクリートブロック構造」による建築で、近代における建築構造の発展過程を示す。
所在地:大阪府大阪市中央区東心斎橋1-38




2015年11月25日水曜日

日本基督教団東梅田教会

日本基督教団東梅田教会は、大阪府大阪市北区にある、日本基督教団に所属するメソジスト系の教会である。
○歴史・概要
・前史
(大阪東部教会)1887年、J.W.ランバス(老ランバス・父ランバス)が大阪での滞在地である中之島洗心館ホテルにて聖書講義を始めて、翌1888年に蘆田慶治(後に神学者となる)が受洗する(第1号)。
1889年2月22日、南美以教会(アメリカ南メソヂスト監督教会)大阪東部教会を組織する。
1895年に、大阪市東区(現中央区)内本町1丁目谷町西へ入ル(現在ホテル・ザ・ルーテルがある場所)にて教会堂と牧師館を3120円で建設する。
1905年10月3日夜、英学校のランプが落下して会堂が全焼する。
1907年、保険金とアメリカ合衆国南美以伝道局および会堂建築課からの資金9600円により煉瓦建築で再建し、4月28日に献堂式を執行する。
1941年、日本基督教団(第2部…日本メソヂスト教会・日本美普教会・日本聖園教会)の一教会となり、翌1942年に日本基督教団大阪大手前教会と改称する。
1945年6月15日、空襲で全焼する。
(大阪西部教会)1891年、J.M.ロリンスが西大阪の主任者となり、8月31日に伝道を開始して、12月25日に15名の会員をもって南美以教会大阪西部教会を組織する。
1892年、松屋町にも講義所を設置する。
1894年、九条にも講義所とSS(日曜学校)を設置する。
1904年、J.T.マイヤス(宣教師・前牧師)が靱通北通にある220坪の土地を購入して、1909年に教会堂が落成する。
1913年、日本メソヂスト教会大阪両国橋教会」と改称する。
1941年、日本基督教団(第2部)の一教会となる。
1945年3月13日、大阪大空襲で全焼する。
(鶴町教会)1911年2月、大阪市西区堀江(現在の北堀江1丁目~4丁目・南堀江1丁目~4丁目に当たる)に堀江講義所として開設される。
1926年6月、港区鶴町(現在の大正区鶴町)2丁目に移転し、日本メソヂスト教会鶴町教会となる。
1941年、日本基督教団(第2部)の一教会となる。
1945年6月、空襲で全焼する(土地については大阪市の所有)。
(築港教会)1941年、日本基督教団(第2部)の一教会となる。
1942年、日本基督教団大阪八幡屋教会と改称する。
1945年6月1日、空襲で全焼する(土地については土地会社の所有)。
(4教会の合同へ)
大阪YWCAでの合同による祈祷会と礼拝 1945年11月(収穫感謝祭の頃位)に大阪YWCAにて行い、各教会の教職たちが祈祷会を開くことを相談し合う。翌1946年1月からより、4教会の合同礼拝が始まる。命名・認証 1953年11月28日(土曜日)に、東梅田教会と命名のうえで認証される。
・開拓伝道
大阪市大正区での開拓伝道 1971年に、大阪市大正区の大運橋に「東梅田教会大正区伝道所」を設けて開拓を始める。
その後に南恩加島を経て、1992年6月に現在地の平尾に礼拝堂と牧師館を建設する。
2001年4月1日(主日・日曜日)に「日本基督(キリスト)教団大正伝道所」として開設して、2008年4月1日(火曜日)に日本基督教団大正めぐみ教会と教会組織並びに名称変更をする。
○行事
主日礼拝-毎週日曜日10:30 -
教会がっこう礼拝-日曜日 09:15 -
パイプオルガンミニコンサート-月曜日 12:20 -
おひるの礼拝-水曜日12:10 -
祈祷会(祝日は休み)-水曜日 18:00 -
聖書を読む会-木曜日 10:00 -
地域家庭集会-第3木曜日 19:00 - 21:00(都合により変更する場合あり:詳細は教会事務室へ要問い合わせ) ジョイワークス(大阪市住吉区帝塚山東1丁目12-12)にて…阪堺電車帝塚山三丁目電停・南海電鉄高野線帝塚山駅
以前旧約聖書を読む会-木曜日 10:00 -
○教会堂
2001年に建設されている合同後つ目の会堂(礼拝堂)で、ビルディングとしては2度目である。 道路側に大きな十字架が置かれている。1階の入り口あたりには、憩いの場としてのロビーが開放されている。
○建築概要
設計-
竣工-2001年
構造-4階建+屋上1階(4階の牧師館真上)+屋上2階(3階の礼拝堂部分真上・吹き抜け)
○所在地
〒530-0055大阪市北区野崎町9-6
○交通アクセス
大阪市営地下鉄堺筋線扇町駅から徒歩5分
JR大阪駅から徒歩15分

http://www1.odn.ne.jp/higashiumeda/








大丸心斎橋店

竣工年:1期/ 大正11年(1922)2期/ 大正14年(1925) 3期/ 昭和8年(1933)
設計:William Merrell Vories
老舗百貨店、大丸の本店。三越大阪店亡き今、近畿圏最古の百貨店となった。伏見の呉服商下村彦右衛門が全国出店の足がかりにすべく、享保11年(1726)大阪心斎橋筋の間口1間(約1.8m)の店舗を入手、開業したのが心斎橋店の始まりである。問屋と両替商が商家の大部分を占めた大阪都心にあって、島之内心斎橋筋周辺には奢侈品を扱う小売業者が集積していた。その後、享保14年(1729)には早くも全店で現金正札販売を行い、1736年に大丸総本店(京都)を設立。1743年には江戸店を開店し江戸三大呉服店(三井越後屋、大丸、白木屋)の一角に称された。不況時には貧民救済にあたり慈善家としての評判も高かった。大塩平八郎の乱でも「大丸は義商なり、犯すなかれ」といわれ、大丸心斎橋店は焼き討ちをまぬがれている。ちなみにライバル(?)の三井越後屋大坂本店は焼き討ちにされた。
<建築>
明治以降大手呉服商がこぞって百貨店化した。大丸も大正7年、心斎橋店をW. M. ヴォーリズによる木骨4階建てレンガ造のゴシック・リヴァイヴァル建築の百貨店としてオープンさせた。しかしわずか一年半で焼失し、今度は地上7階地下2階、鉄筋コンクリート造の、現在見られる建物の建築が進められた。三越、高島屋といった老舗百貨店の旗艦店は見事な近代様式建築であることが多い。しかし大丸心斎橋店は全体のフォルムや細部の装飾など、他とは一線を画する高い完成度を誇る。やはり欧米人の作る西洋様式建築は日本人のそれとは比較にならない。欧米人は日曜に通う教会建築から菓子箱の意匠に至るまで、伝統様式のデザインに囲まれて育っている。高等教育機関で初めて本格的に西洋美術を学習する日本人とははなから土台が違うのだ。様式主義的意匠の濃密な百貨店建築の設計に、米国人ヴォーリズを起用した大丸の選択は賢明だったように思われる。本物件はゴシック・リヴァイヴァルを基本に、幾何学的なアールデコ・スタイルの装飾が散りばめられている。外装、内装ともに壮麗な装飾で埋め尽くしながら、仰々しさを感じさせない感覚の鋭さは素晴らしい。空襲で大部分の伝統的木造商家が失われてしまった島之内、心斎橋筋界隈で、大丸心斎橋店は近世以来の伝統ある商業地を代表する記念碑的な建築といえる。
所在地:〒542-8501大阪市中央区心斎橋筋1-7-1

http://www.daimaru.co.jp/shinsaibashi/









日本基督教団天満教会

天満教会は、プロテスタント日本基督教団の教会。
○建築概要
設計-中村鎮
竣工-1930年
施工-不明
所在地-〒530-0045大阪市北区天神西町4-15
○交通アクセス
大阪市営地下鉄谷町線・堺筋線 南森町駅/JR東西線 大阪天満宮駅の近く
http://www.temma.or.jp/





霊松寺

霊松寺は大阪府高槻市にある曹洞宗の仏教寺院。山号は黄牛山。本尊は十一面観音。
○歴史
寺伝によると、8世紀中頃に行基菩薩が開創したと伝えられている。当初は牛飼山地蔵院と称していたが、1412年(応永19年)に無月妙応禅師が老松の下から表れた黄金仏を本尊の胎内に納め、堂宇を再興し、寺名も霊松寺と改めた。1558年(永禄元年)には正親町天皇の勅願寺となり、翌1559年(永禄2年)に綸旨や勅額を賜ったと伝えられる。その後、将軍家を支配し畿内に権勢を奮っていた芥川城城主・三好長慶ら一族の信仰が厚く隆盛を極めたが、天正年間(1573-1593年)に当時の高槻藩の藩主でキリシタン大名としても有名な高山氏(高山右近)の兵火にかかり諸堂宇を焼失した。江戸時代の寛永・享保年間に本堂や庫裏、鐘楼、山門などの堂宇を再建した。現在の堂宇は1991年(平成3年)に再建されたものである。境内には、「三好のカンカン石」と呼ばれている、長慶の嫡男で芥川城城主でもあった三好義興の自然石(安山岩)で作られた墓や、江戸時代の高槻城城主・土岐定義らの墓があり、境外にも高槻城城主であった入江春正の墓がある。また、『摂津名所図会』には山門の脇に寺伝に因む老松が生えていると紹介されているが現在は存在していない。
○所在地
大阪府高槻市天神町2-4-2
○交通アクセス
JR高槻駅より徒歩10分







霊山寺

霊山寺は大阪府高槻市にある高野山真言宗の仏教寺院。山号は鶴林山。本尊は不動明王。
○歴史
寺伝によれば宝亀9年(778年)桓武天皇が箕面に行幸した際、箕面の美しい景観を光仁天皇の子開成皇子に伝え、それを耳にした開成皇子が山に入ると、箕面大滝の近くの所で、自然石が不動明王になり、この地に寺を開創するように告げられ、開創したと伝わる。また、本堂にある本尊の不動明王(通称一言不動)が開成皇子に寺の開創を告げた不動明王として祀られている。永禄12年(1569年)に作られた『室町幕府奉行人連署寺領安堵状』には、安土桃山時代から江戸時代にかけて寺領24町を有したと記されており、勝尾寺や神峯山寺などと並び山岳修行の聖地として広く庶民に知られるようになった。しかし、天正(1573年-1592年)の頃、高山右近による戦火にあい、本堂などが全焼し、壊滅的な被害を負ったが当時の住職達が不動明王などの仏像を守った。その後、慶長(1596年-1615年)の頃に見事復興を成し遂げた。
○境内
本堂-本尊不動明王を祀る。一言願いを言うと叶えられると信じられてきたため、一言不動と呼ばれている。
薬師堂-薬師如来立像、十二神将像を祀っている。
鐘楼(時計堂)-平成13年(2001年)に奉納されており、境内で唯一新しい建造物である。
○札所
摂津国八十八箇所霊場 第49番札所
○所在地・アクセス
〒569-1052大阪府高槻市霊仙寺町1-11-1
JR京都線摂津富田駅下車、高槻市営バス「萩谷」行乗車、「霊仙寺」下車すぐ。


理安寺

理安寺は大阪府高槻市にある浄土宗の仏教寺院。山号は起行山。院号は総智院。本尊は阿弥陀如来。
○歴史
創建年月は不詳だが、光誉上人が創建したといわれている。元和5年(1619年)に高槻城主となった松平家信が先婦人の菩提を弔って、理安寺を再興させた。それ以降、松平家の崇高が厚く、松平家の菩提寺として繁栄した。家信の次男で後に高槻藩主となった康信のときには、寺領や鐘楼などの寄進を受け、大いに栄えたという。古くは「利生安国」から字を取って、利安寺と称していた。墓地には、江戸時代末期の儒学者で、漢詩人・藤井竹外と親交の厚かった市村甘泉の墓が建っている。
○所在地・交通アクセス
〒569-0072大阪府高槻市京口町1-18
JR高槻駅より徒歩15分
阪急高槻市駅より徒歩5分





地蔵院

地蔵院は大阪府高槻市にある真言宗大覚寺派の仏教寺院。山号は峰尾山。本尊は地蔵菩薩。摂津国八十八箇所第四十八番札所。
○歴史
創建は不詳であるが、寺伝では天平年間(729-749年)に行基が創建したと伝えられている。その後火災に遭い寺伝や堂宇などを焼失したが、慶長年間(1596-1615年)に槇尾の明忍和尚が真言律宗として再興。その後の寛文7年(1667年)に教存律師(きょうぞんりっし)により堂宇などが造営され、これが中興とされている。幕末に40年ほど無住職の状態が続き荒れていたが、明治2年に実玄和尚が入山し、大修理が加えられている。現在の本堂は1987年(昭和62年)に改築されたものである。高台にある境内には300体あまりの地蔵が安置され、周辺は「地蔵院樹林保護地区」として9,517.99m2が高槻市の樹林保護地区に指定されている(1987年〈昭和62年〉4月1日告示)。地蔵院の本堂裏手の墓地には、尊勝院ダラニ塔という高さ4.8mの五輪塔が立っている。言い伝えによると、ある高僧がこの地で念仏三昧唱えたまま遷化したことを慕い建立されたと言われている。
○所在地
大阪府高槻市真上町4-1-54

○交通アクセス
JR高槻駅北口より高槻市営バス「上の口」「原大橋」「樫田校前」「寺谷町」行き、「真上南」バス停より徒歩10分。




清蓮寺

清蓮寺は大阪府高槻市富田町にある浄土宗の仏教寺院。
○歴史
もと当地に念仏堂があったが、地震で破壊され、天正12年(1584年)富田酒の蔵元・紅粉屋の祖清水利重(法名休意)が再建し、開山に顕誉良閑和尚を大山崎の大念寺から迎えた。
○境内
富田子安地蔵尊 三輪大明神として三輪神社に鎮座していたが、神仏分離令により明治2年(1872年)に安置。若水處士之墓 入江若水 名は兼通、字は子微、若水又は釣隠と号す。清水家の一族で、酒造業を営んでいていたが、放蕩の末、京都嵐山に隠棲。漢詩を学び、諸国を巡った。荻生徂徠の門人。
○所在地
大阪府高槻市富田町4丁目1-4
○交通アクセス
阪急京都本線富田駅徒歩5分



廣智寺

廣智寺は大阪府高槻市にある黄檗宗の仏教寺院である。本尊は十一面観音。山号は曇華山(どんげさん)。「かんのんさん」とも呼ばれている。
○歴史
寺伝によると、聖徳太子自らが観世音菩薩像を造り、堂宇を建て創建したと伝えられている。当時は観世音寺と称し、中世以降は興隆を極めたと伝えられるが、1578年(天正6年)にキリシタン大名として知られる高槻城城主・高山右近のキリスト教への改宗に応じなかったため堂宇は焼き払われた。唯一本尊である観音像のみが里人により難を逃れ草庵に安置され守られた。1661年(寛文元年)に当時の高槻城城主・永井直清が夢の中で、聖徳太子から現在の地に観音像をまつるように告げられ伽藍の建設を志し、普門寺造営で知られる龍渓性潜(りゅうけいしょうせん)が開山となり再興。弟子の独量および1673年(延宝元年)にはその法弟の櫟隠(れきいん)が諸堂宇を建設して、寺名も廣智禅寺(正式名: 優雲波羅華山観音廣智勝憧禅寺〈うどんばらげざんかんのんこうちしょうとうぜんじ〉)と改称した。
○文化財
木造多臂観世音菩薩立像 - 高さ167.8センチメートル、カヤの一木造(いちぼくづくり)。腕が6本の十一面観世音像であるが、元来は腕が8本で顔が1つの不空羂索観世音菩薩(ふくうけんさくかんぜおんぼさつ)であったことが解体修理により判明。1993年(平成5年)11月、大阪府の有形文化財に指定。
○所在地
大阪府高槻市天神町2-1-3
○交通アクセス
JR高槻駅より北へ徒歩10分