2012年3月8日木曜日

天下茶屋跡

大阪市西成区に天下茶屋と言う地名がありますよね。その地名の由来が何か知っていますか。
豊臣秀吉が住吉大社や堺に行く途中、紀州街道沿いにあったこの屋敷で茶会を催したという故事から、天下茶屋という名前が付いたそうです。
その茶会を催した場所が「天下茶屋跡(大阪市顕彰史跡)」として保存されているそうです。
江戸時代にはこの屋敷に、紀州藩主をはじめとした諸大名も宿泊したと伝えられる。明治天皇も、住吉行幸の途中立ち寄っている。
約5000平方メートルの敷地に、屋敷や茶室・井戸・池などを備えていたといわれる。しかし1945年の大阪大空襲で焼失した。そのため現在は、屋敷敷地の北西角にあった土蔵などが残るのみとなっている。現在では、敷地の大半はマンションや住宅になっている。大阪市は芽木家から土地の一角の提供を受け、顕彰史跡天下茶屋跡として整備した。
○所在地
大阪市西成区岸里東2-10-9



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