2012年10月19日金曜日

姫街道

姫街道とは、江戸時代以前の徒歩時代における、主要街道の別ルートの一部に対する呼び名。本街道に峠道・川越えなどの難所、厳しい関所などの面倒があった場合に、それらを避けるための別ルートが選ばれる場合があった。また、本街道と比べると人通りが少なく、犯罪に巻き込まれる可能性が少ない・警備が楽、といった事情もあった模様である。女性旅行者がこれらの理由から選ぶ道というイメージがあったことから、それらの別ルートが「姫街道」「女街道」と呼ばれることがあった。規模はさまざまであり、特定の難所だけを大回りして迂回する小規模なものから、大きく別ルートを取るケース、さらには(東海道と比べて距離は長いが安全で難所が少ないとされていた)中山道全体を呼んだような大規模なものまであった。寺社の参道で勾配がきつい坂を「男坂」、大回りするが勾配がゆるやかな坂を「女坂」と呼んだ事例も多く見られるが、それと同様の発想による命名であるとも言える。
○代表的な姫街道
東海道見附宿(静岡県磐田市)と御油宿(愛知県豊川市)を結ぶ東海道の脇街道。浜名湖の北側、本坂峠を越える道で、本坂道、本坂通りとも言う。東海道新居関所の厳しい取締まりを嫌った女性が多く利用したためこの名があるという。姫街道 (東海道)を参照のこと。
中山道の別名。数箇所の険しい峠道はあったものの、東海道のような長期にわたる川止めがないことがメリットであった。また、嫁入りに際しては縁起の良い地名が多いことも影響した。幕末には、京都から江戸の徳川家に和宮が嫁いだが、その嫁入り行列も中山道を使っている。
下仁田道。中山道の脇往還であり、上州姫街道などとも呼ばれた。中山道本庄宿(埼玉県本庄市)から分岐し、上州(群馬県)藤岡宿(藤岡市)・吉井宿(高崎市)・福島宿(甘楽郡甘楽町)・富岡宿・一ノ宮宿・宮崎宿(以上富岡市)から小坂坂峠を経て、下仁田宿・本宿宿・初鳥屋宿(以上甘楽郡下仁田町)から鰐坂峠を越え信州(長野県)借宿(北佐久郡軽井沢町)で中山道へと戻る。中山道古道のひとつであるが、別ルートが中山道本道として指定されたことから、脇往還となった。下仁田宿から砥沢宿(甘楽郡南牧村)を経て、信州へ繋がる脇道もあった。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。