2012年10月19日金曜日

平坂街道

平坂街道とは、東海道の小坂井から分岐し、ここを起点として、「平坂湊」(西尾市平坂町)に至る約40キロメートルの街道である。三河南部海岸地帯を横断し、三河木綿や塩を運ぶ主要な通商路であった。
○概要
東海道(現在の愛知県道496号白鳥豊橋線)の小坂井で西へ分岐し、愛知県道384号小坂井御津線を進む。途中、JR東海道本線で「平坂街道踏切」を渡る。県道をそのまま愛知御津駅方向に進み、駅前で南西に折れて国道23号方向に進む。大塚の街並みを通り抜け、星越峠を大きく越して三谷に入り、蒲郡の市街地を横断する。途中、竹谷で幡豆街道との分岐点があり、平坂街道は眺海橋通りを潜って深溝方面へ行く。上六栗・桐山・須美・平原などの山間の集落を通ると、駒場で吉良道と交わる。江原橋を渡って八ツ面山の南麓を通り、熊味では土呂西尾道と交わる。三河の小京都と呼ばれる西尾の街並みを通り抜け、住崎から羽塚を通って、平坂で終点である平坂湊に辿り着く。
○星越峠
平坂街道は蒲郡市の大塚から三谷に至る間の星越峠を大きく峠越えする。星越峠の南にある星越海岸沿いに国道23号が整備され、また星越峠に国道247号の星越バイパスが切通しでつくられると、幹線である平坂街道は次第にこの区間での交通量が減った。
○羽塚の街並み
大正期の羽塚には荷馬車、大八車などを製造する車屋が4軒あって、街道を往来する車はここで製造・修理された。平坂街道の南側には並行するように名鉄平坂支線が敷かれていたが、1960年に廃線になった。
○平坂湊
矢作川下流左岸東800メートルに位置し、国道247号沿いにある。平坂湊は江戸時代に西尾藩の外港であったばかりでなく、西三河各藩の年貢米の積み出し港でもあったので、港には米蔵が建ち並び、常に多くの人夫が積荷を扱っていた。三河木綿などの特産物も平坂湊から江戸へ送られた。明治になり年貢米を江戸・大阪に運ぶ必要がなくなったことが港を衰退させた。現在は護岸整備が行き届き、港の左右はコンクリートの堤防ができている。港に漁船が点々と繋留していて、当時の面影はない。
○平坂街道の産業
平坂街道南の海岸地域は古来より製塩業が盛んであった。大塚塩は平坂街道を東に行き小坂井から伊那街道を通って信州伊那に運ばれ、饗庭塩・生田塩などは平坂湊で船積みされ、矢作川を北上して岡崎城下で降ろされて足助街道で運ばれた。いわゆる「塩の道」としての太平洋側からの塩の起点は、三河南部海岸地域から発するものであった。

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