2012年10月19日金曜日

出羽仙台街道

出羽仙台街道は、江戸時代に陸奥国の最大都市である仙台藩・仙台城下町(現・宮城県仙台市。地図)と、西廻り航路(北前船)の出羽国における拠点的な港町である庄内藩の酒田湊(現・山形県酒田市。地図)とを結んだ街道のうち、奥羽両国を隔てる奥羽山脈を超える区間、すなわち、吉岡宿(宮城県黒川郡大和町。地図)から舟形宿(山形県最上郡舟形町。地図)までの区間の通称。現在では特に「出羽仙台街道中山越」として史跡指定されている県境の区間、すなわち、宮城県大崎市鳴子の尿前番所(地図)から山形県最上郡最上町の笹森番所(地図)までの区間 (4.2km) を指すことが多い。
○概要
戊辰戦争の戦後処理が行われた明治元年12月7日(西暦1869年1月19日)に、出羽国は羽前国と羽後国に分割されたため、仙台と酒田を結んだ街道は現在、「北羽前街道」、あるいは、「羽後街道」と呼ばれている。1990年(平成2年)、街道沿いの史跡群を国の史跡に指定するに当たって、「御勝手帳」「安永風土記御用書出」の記述を基に、指定名称を「出羽仙台街道中山越」としたことにより名称が一般化した。すなわち、出羽仙台街道は、歴史的に広く使われていた名称ではない。この街道は脇街道であり、仙台城下町と出羽国とを結んだいくつかの街道の1つである。酒田港から最上川を清水港(現大蔵村)で陸揚げされた上方物や松前物が、この街道を通って仙台城下に運ばれた。仙台藩にとっては、奥州街道や陸前浜街道ほどではないにしろ、重要な街道であった。出羽三山への参詣に向かう街道でもあり、かつては松尾芭蕉も通った。現在、尿前番所と笹森番所の間の旧街道(4.2km)が、歴史街道として保存されており、往古の雰囲気が残されている。史跡「出羽仙台街道中山越」の指定範囲でもある。
○関所
尿前番所(仙台藩)
笹森番所(新庄藩)
舟形口留番所(新庄藩。羽州街道の関所)

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