2012年10月20日土曜日

杣街道

杣街道は、江戸時代に滋賀県(近江国)甲賀郡に存在した街道。杣海道、新海道とも。
○歴史
杣川沿いのこのルートは近江朝時代の東海道で「倉歴(くらぶ)道」ともいう。壬申の乱後に一旦廃れたが、平安時代にも886年(仁和2年)に鈴鹿峠経由で関に至る「阿須波(あすは)越」に変更されるまで東海道として利用された。その後も、湖南から伊賀に抜ける「伊賀道」として、伊勢参宮の間道として、山伏の道として、杣谷の人々にとっての主要道として重要な道であった。江戸時代に入って17世紀には三雲から東海道と分れて伊賀へ至る現在のルートの大要が確認でき、1742年(寛保2年)の資料には「杣海道」の名称が確認できる。現在のルートが整えられたのは明治20年代のことで、当時これを「新海道」と称した。1889年、沿線に関西鉄道が開通。1907年に国有化され、現在のJR草津線となっている。
○経路
三雲(湖南市)→三本柳(甲賀市水口町)→深川市場(甲賀市甲南町)→寺庄(甲賀市甲南町)→大原市場(甲賀市甲賀町)→上野(甲賀市甲賀町)→柘植(三重県伊賀市柘植町)<大和街道に合流>→加太市場(亀山市)→関(亀山市関町)

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