○概要
かつて江戸時代には枚方道と呼ばれていたようであるが、はっきりとした街道として認識されていたわけではなく、集落同士をつなぐ道が一本となって繋がっていたのが実態だった。(暗越奈良街道との交点にある石標にも途中の四条畷までしか表示されていない。)明治時代になって 「北河内郡枚方町大字伊加賀の国道第2号路線より起こり、中河内郡竜華村大字植松の八尾停車場敷地界に至る」 河内街道と記されるようになった。現在の河内街道の道筋は、北から大阪府道21号八尾枚方線、国道170号(部分)、大阪府道160号四條畷停車場線、大阪府道162号大東四條畷線、大阪府道21号八尾枚方線、大阪府道178号八尾停車場線に沿っており、継ぎはぎという印象を受ける。(ただし、前述のとおり、旧街道はほぼ一本道として繋がっている。)
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