2012年3月6日火曜日

法案寺

法案寺は大阪府大阪市中央区にある仏教寺院。詳名は法案寺南坊。通称・日本橋聖天。山号は志宜山。高野山真言宗・準別格本山。本尊・薬師如来。現在、仮本堂(聖天堂)には聖観音・歓喜天(聖天)・不動明王・弘法大師などを祀る。境内には弁財天・不動明王・地蔵菩薩などを祀る。
○歴史
寺伝によれば、推古天皇の頃(593年 - 628年)に聖徳太子が志宜野(大阪市城東区鴫野)に法案寺を建立したという。建立した場所の地名から山号を「志宜山」とし、仏法弘通の公案をしたところから寺号を「法案寺」としたという。時代が下り、本地垂迹説が広まるようになってからは、生玉明神と習合して神宮寺の別当として隆盛したが、後になって衰微したが、応永年間(1394年 - 1428年)に松永政廣が称光天皇の勅命を受け、法案寺の再興に尽力した。「天文日記」には、法案寺第3世・正教が蓮如に帰依したために、蓮如が法案寺の敷地に借地して石山本願寺を建立し、後に寺地を譲渡したという記録がある。豊臣秀吉が大坂城を築城するとき、法案寺は法円坂町付近にあったが、天正11年(1583年)、生玉明神とともに馬場崎(大阪市天王寺区生玉町、生国魂神社の所在地)に強制移転させられた。なお、法円坂の語源は法案寺からきたものとされ、「法案」から「法眼」、そして「法円」となまったものという。江戸時代になり江戸幕府から寺領300石を与えられて以降は、歴代の大坂城代が法案寺に帰依したこともあったので、隆盛した。明治時代に入り、廃仏棄釈に遭って寺領を失った当時の法案寺住職・栄達は本堂から聖観音と聖天堂の歓喜天を持ち出し、明治16年(1883年)年6月に現在地である大阪市中央区島之内2丁目に法案寺を復興再建したが、境内地は生玉町にあったころと比べるとはるかに狭くなった。昭和20年(1945年)3月、太平洋戦争による大阪大空襲があり、法案寺は本堂・諸堂とともに焼失した。聖観音・歓喜天は焼失せず、仮本堂に祀られている。
○文化財
・重要文化財
木造聖観音立像 - 平安時代後期の作
○信仰
本尊は薬師如来であるが、聖観音と歓喜天が有名。歓喜天は「日本橋の聖天さん」と呼ばれて信仰を集めている。境内の弁財天は「大阪七福神」の一つになっている。
○授与品
歓喜天:浴油供御札
歓喜天:「開運福寿」お守り
弁財天:小絵馬(大阪七福神巡拝用)
弁財天:お守り
○札所
摂津国八十八箇所第1番
大阪七福神弁財天
○行事
1月1日~7日:聖観音の開扉
2月:星まつり(星供)
○所在地・アクセス
大阪市中央区島之内2丁目10-14
地下鉄日本橋駅・近鉄日本橋駅下車 北へ徒歩約5分


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