2012年4月1日日曜日

おかげ参りとおかげ燈籠

お伊勢まいりはもともと“ぬけまいり”といった。封建支配の厳しい江戸時代、何とか参宮したいあまり領主や村役人はもちろん、雇主・主人や家族にさえ告げないで旅立つ者が多かったからという。こうした人々の中には旅費や服装の準備もない者が多かったので、沿道の施しにた
よってお参りした。そこで参宮のことを“おかげまいり”といっている。
おかげまいりが盛んになったのは江戸時代からで、だいたい60 年周期で高まったといわれる。そのうち最も盛況を極めたのが、文政十三年(1830)であった。この年の3月27・28 日に阿波に発生したおかげまいりの群は河内地方に及びこのうねりに当地域もまきこまれ、村を上げた踊りにまで発展した。三味、太鼓のはやしに合せ、二日も三日もうかれ、踊り続けた。その場所がどこであったかは分らないが、市内に残る“おかげ燈籠”はそれを記念して建てられたものであり、当時のにぎわいを思いおこさせてくれる。

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