2012年4月16日月曜日

服部天神宮

服部天神宮は、大阪府豊中市の南部、服部に鎮座する神社。少彦名命と菅原道真を主祭神として祀る。「足の神様」として知られている。
○由緒
御鎮座の時期については詳らかでないものの、帰化人集団「秦氏」が允恭天皇の御世(412年~453年)に織部司に任じられ、当地を服部連の本拠とした際、外来神の少彦名命(医薬の神)を祀ったのが始まりとされる。この頃はまだ、小さな祠だったという。783年(延暦2年)、藤原魚名は大宰府に左遷され筑紫国へ向かったものの、当地にて病没。祠の近くに葬られた(「川辺左大臣藤原魚名公の墓」が今も境内に残る)。約100年後の延喜元年(901年)、菅原道真が魚名と同様、大宰権帥として左遷され任地へ赴く途中、当地で持病の脚気に襲われ動けなくなった。そこで里人の勧めるまま、路傍の祠と魚名を祀る五輪塔に平癒を祈念したところ、たちまち健康を取り戻し、任地へ辿り着けた、との言い伝えがある。菅原道真の没後、天神信仰の高まりと共に当社にも菅原道真を合祀することとなり、新たに堂宇が建立された。この頃から「服部天神宮」と呼ばれるようになり、また菅原道真の故事に因み「足の神様」として崇敬を受けた。近世に入ると、当地が能勢街道の宿場町だったこともあって徐々に門前市を成すようになり、中でも江戸時代後期の文化年間(1804年~1817年)、文政年間(1818年~1829年)には殷賑を極めたという。
○主な祭礼
・大祓/茅の輪くぐり
半年に1度行われる大祓。6月晦日と大晦日に行われる。形代に半年間の罪・穢を託し、茅萱で編んだ輪をくぐる事により罪・穢を祓う。
・足の守護祈願大祭
「足の神様」としての当社の面目躍如たる祭礼。8月25日午前10時より行われ、祭典の後、参列者全員に宮司が特大金幣を授け、神職が形代を以って参列者の足を摩る。大阪近辺の夏祭りとしては最後に当たり、24日25日の夕方からは夜店も並び、「摂州だんじり(地車)囃子」などの奉納がある。この摂州だんじり囃子(地車囃子)が奉納される櫓の周囲には人だかりが幾重にもでき、子供、若衆、そして名物の長老のだんじり踊りや、若衆の太鼓の華麗なバチさばきに大きな拍手・歓声が起こる。[1]
・例祭(秋祭)
10月25日に例大祭が斎行される。神幸式(神輿巡行)はその前後の日曜日に行われ、本神輿・ギャル神輿・子供神輿や稚児行列が氏子区内を練り歩く。
・豊中えびす祭
境内社である豊中えびす神社の祭。昭和26年から平成14年までは「服部えびす祭」の名で斎行されていたが、平成15年に「豊中えびす祭」と改称された。 1月9・10・11日に行われ、35万人の参拝者で大変な賑わいを見せる。約3分サイクルのエンドレスでスピーカーから流れる囃子は毎年吹き込み直されており、独特の口調に情緒が感じられる。
・福娘
豊中えびす神社(服部天神宮境内社)の十日戎で奉仕を希望する福娘は公募で選ばれている。毎年600~700名の応募があり、第1次審査の書類選考を通過した者の中から、第2次審査の面接選考を経て約25名が選出される。平成9年には初めて外国人が選ばれ、母国の各メディアで報道されるなど話題となった。以降、留学生枠が設けられ毎年外国人が福娘として選出されている。日本人の福娘も語学に堪能な者が多く、国際交流に大きく貢献している。
・初天神祭
1月25日に斎行される祭。祭典、お火焚き神事、湯立神事が行われる。その後、大根炊きのふるまいがある。
○境内
境内社
豊中えびす神社 蛭子大神を祀る。
初酉稲荷神社 宇迦之御魂神を祀る。
十二支稲荷社 昭和52年、伏見稲荷大社より勧請。
○文化財
算額 天保14年6月 吉田伝兵衛奉納 豊中市指定有形民俗文化財(収蔵)
○交通
阪急宝塚本線服部駅下車 徒歩3分
国道176号 服部駅前交差点からすぐ
○所在地
大阪府豊中市服部元町1丁目2-17










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