2015年3月27日金曜日

大阪活版所跡

明治3年、五大友厚の懇望を受けたわが国活字印刷の創始者といわれる、本木昌造が設計創設した活版印刷所の跡で、大阪の近代印刷はここから始まったといえる。昌造は幕末長崎のオランダ通詞(通訳)で職業がら洋書に広く接し、外国に後れを取るわが国の印刷術の現状(木版印刷)を憂い、主主文献により研究を続けた。その苦心の結果、ついに寛永4年(1851)わが国最初の鉛の流し込みによる活字の鋳造に成功して、この地に長崎につぐ2番目の活版印刷所を設けた。昌造はその後、大阪最初の鉄橋高麗橋の架橋にも加わるなど、いろいろの事業に携わったが、常に活版を忘れず、活版伝習所を作り1日も早くその技術を全国に普及しようと努力を続けた。明治8年没、52歳。
所在地:大阪府大阪市中央区大手通2丁目4


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