2015年3月27日金曜日

石山本願寺推定地

「大坂」という地名が歴史上初めて姿を現すのは、明応7(1498)年に本願寺第8世蓮如が書いた「御文」の中だ。その蓮如が明応5(1496)年、摂津国に築いたのが大坂御坊であり、天文元(1532)年に京都の山科本願寺が炎上した際に本山の機能を大坂御坊に移転し、「石山本願寺」と呼ばれるようになった。第11世顕如のときは元亀元(1570)年から11年、織田信長との熾烈な石山合戦を経験。最終的には講和が成り、顕如が石山本願寺を退去することで決着を見た。その後、石山本願寺は消失している。消失後にその立地条件のよさに目をつけた豊臣秀吉が大坂城を築き、そして現在に至るまでの大阪の繁栄へち続いていくのである。「推定値」とされているのは、秀吉による大坂城建設、さらに大坂夏の陣ののち徳川大坂城建設による大規模な工事により、石山本願寺の正確な場所が不明だからである。
所在地:大阪府大阪市中央区大阪城2
最寄駅:地下鉄谷町線・中央線谷町4丁目駅



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