ラベル 尼崎市 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 尼崎市 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年3月25日火曜日

旧猪名川水門

 尼崎市戸ノ内の旧猪名川にある水門です。場所は兵庫県ですが管理は大阪になってるようです。旧猪名川と神崎川の境にある緑色の水門です。神崎川から旧猪名川への逆流を予防するための水門です。昭和41年12月に完成したそうです。

所在地:兵庫県尼崎市戸ノ内町4丁目4-1









@kazubonka

旧猪名川水門 旧猪名川水門 尼崎市戸ノ内の旧猪名川にある水門です。場所は兵庫県ですが管理は大阪になってるようです。旧猪名川と神崎川の境にある緑色の水門です。神崎川から旧猪名川への逆流を予防するための水門です。昭和41年12月に完成したそうです。 所在地:兵庫県尼崎市戸ノ内町4丁目4-1

♬ original sound - kazubonka

2023年4月29日土曜日

田能遺跡

 田能遺跡は、兵庫県尼崎市田能から伊丹市岩屋にまたがる弥生時代の遺跡。1969年(昭和44年)6月30日に国の史跡に指定された。

〇沿革

1965年(昭和40年)に、尼崎・伊丹・西宮三市共同による工業用水園田配水場の建設工事中に大量の弥生土器が発見されたことから、この場所に大規模な弥生時代の遺跡があることが判明、調査が開始された。特に注目されたのが、木棺の発見である。木は腐りやすいため、それまでは推測でしかなかった弥生時代の木棺埋葬の風習が、初めて具体的な形で証明された。第1次調査では、木棺墓から人骨も発見された。当初は調査後、計画通り配水場建設を進めて遺跡を破壊する予定だったが、保存運動が高まり、その結果、遺跡の重要な部分を保存することが決定、1969年(昭和44年)6月30日には国の史跡に指定され、 翌1970年(昭和45年)7月25日には尼崎市立田能資料館として開館した。高度経済成長期の当時、建設優先の風潮があった中で、このような文化財保護運動は珍しく、先進的な事例だったという。

〇出土品

土器多数、石斧などの石器、木製品、骨類、鉄製品など。以下の三点は兵庫県指定文化財に指定されている。

銅剣鋳型(どうけん・いがた)

白銅製釧(はくどうせい・くしろ)

碧玉製管玉(へきぎょくせい・くだたま)

〇アクセス

・阪神バス

阪急電鉄神戸本線園田駅北側4番バスのりばから「20番 - JR猪名寺 行」もしくは「21・21-2番 - 阪急塚口 行」もしくは「22番・22-2番 阪神尼崎 行」に乗車して「田能口」バス停下車(所要時間約10分間)。北へ徒歩約15分。

JR宝塚線猪名寺駅東側バスのりばから「20番 - 東園田 行」に乗車して「田能口」バス停下車(所要時間約8分間)。北へ徒歩約15分。

・自動車

名神高速道路豊中インターチェンジより北西へ約3キロメートル(尼崎インターチェンジよりも豊中ICが近い)。














2018年12月1日土曜日

貴布禰神社初詣2019

京都の鞍馬にある貴船神社を総本社とする貴布禰神社では、元旦0時から境内の地車蔵にある地車が引き出されます。ぜんざいや樽酒の授与が行われます。地元の人々をはじめ、新年を祝う参拝者で賑わいます。
所在地:〒660-0874兵庫県尼崎市西本町6-246
開催期間:2019年1月1日~3日
交通アクセス:阪神「出屋敷駅」から南東へ徒歩10分
問合せ先:貴布禰神社06-6411-0170
http://www.kifunesan.jp

大覚寺身振り狂言2019

「身振り狂言」は、天保11年(1840年)奉納の記録が残る大覚寺の伝統行事で、本堂前の舞台で、鰐口の鉦と太鼓の囃しによる無言の狂言がすすめられます。この日のみ、授与される兵庫県の郷土玩具「厄除昆布だるま」に、名前、年齢、干支を書いて、一年間神棚などに置いて、無事息災を祈り、翌年の節分の日に寺へ納める風習があります。当日は、豆まきも行われます。平成20年(平成8年)に、兵庫県ふるさと文化賞を受賞しました。「芦刈からくり堂」では、能楽「芦刈」を題材にした「からくり人形」の上演もあります。
所在地:〒660-0867兵庫県尼崎市寺町9
開催期間:2019年2月3日10:00~19:00豆まき/12:00~、14:00~、17:00~、19:00~
交通アクセス:JR神戸線「尼崎駅」から「阪神尼崎行」のバス「阪神尼崎駅」~南西へ徒歩5分
主催:大覚寺
料金:無料
問合せ先:大覚寺06-6411-2705
http://www.amagasaki-daikakuji.com

2018年5月12日土曜日

貴布禰神社例大祭(だんじり祭)2018

貴布禰神社の例大祭(だんじり祭)は、毎年8月1日から2日に斎行されます。1日目は、パレードや宮入りをはじめ太鼓演技などが行われます。2日目は、地車どうしをぶつけ合う迫力満点の「山合わせ」が見どころです。
所在地:〒660-0874兵庫県尼崎市西本町6-246
開催期間:2018年8月1日~2日
交通アクセス:阪神「出屋敷駅」から南東へ徒歩10分
主催:貴布禰神社
問合せ先:貴布禰神社06-6411-0170
http://kifunehozonkai.blog.fc2.com/

2017年11月5日日曜日

貴布禰神社初詣2018

京都の鞍馬にある貴船神社を総本社とする貴布禰神社では、元旦0時から境内の地車蔵にある地車が引き出されます。ぜんざいや樽酒の授与が行われます。地元の人々をはじめ、新年を祝う参拝者で賑わいます。
所在地:〒660-0874兵庫県尼崎市西本町6-246
開催期間:2018年1月1日~3日
交通アクセス:阪神「出屋敷駅」から南東へ徒歩10分
問合せ先:貴布禰神社06-6411-0170
http://www.kifunesan.jp

2017年6月1日木曜日

塚口古墳群(猪名野古墳群)

猪名川の西岸、阪急塚口駅を中心とする一帯にあり、前方後円墳の池田山古墳・御園古墳・大塚山(天狗塚)古墳・伊居太古墳・帆立貝式の御願塚古墳・南清水古墳その他(岡院の石棺等)からなる。その分布は比較的散在した状態である。5世紀中葉以降、西摂平野の中期古墳は塚口と豊中市の桜塚の2地域に集中する。猪名川を挟んで東西に位置する両古墳群はともに5世紀後半を中心に形成されているが、桜塚古墳群が2~3系列の首長墓の集合と考えられるのに対し、塚口古墳群は1系列の首長墓のものとみられる違いがある。塚口地域は猪名部の中心地と考えられ、この渡来した集団の首長墓としてつくられたものであろう。猪名部は、木工関係の技術集団と考えられているが、大塚山古墳の副葬品に出土例の少ない鉄鋸〔てつのこ〕があることも注目される。当古墳群において、6世紀になって全長を次第に縮小しながらも、基本的に前方後円墳がつくられていったのは、有力な単一首長系列の墓であったためであろう。

池田山古墳

旧塚口字山廻(現塚口本町6丁目)にかつて存在した西南面する全長約71mの前方後円墳。出土遺物から4世紀後半の前期古墳と推定される。1920年代には周辺に20余基の古墳群が遺存していたという。当古墳は1912年(大正元)・1919年・1938年(昭和13)の3度にわたる土取り工事で完全に消滅した。断片的な記録からは、後円部中央の表土下2.5m付近に切り石を積んだ石槨〔せっかく〕をもつ竪穴式石槨墳と推定される。同時期の古墳例からすれば、石槨内に朱塗りの割竹形木棺を内蔵していたと考えられる。径19cmの画像鏡、径14.7cmの平縁式鏡、直刀、鉄鏃、埴輪などが出土したらしいが所在不明。現存する内行花文鏡片は推定径20cm、白銅製の後漢形式で、七弧文四葉座鈕であるとすれば発見例はきわめて少ない。土師器小壺1点も現存している。
所在地:兵庫県尼崎市塚口本町6丁目(消滅)

2017年5月14日日曜日

貴布禰神社例大祭(だんじり祭)2017

貴布禰神社の例大祭(だんじり祭)は、毎年8月1日から2日に斎行されます。1日目は、パレードや宮入りをはじめ太鼓演技などが行われます。2日目は、地車どうしをぶつけ合う迫力満点の「山合わせ」が見どころです。
所在地:〒660-0874兵庫県尼崎市西本町6-246
開催期間:2017年8月1日~2日【1日目】パレード、宮入り、太鼓演技【2日目】地車山合わせ
交通アクセス:阪神「出屋敷駅」から南東へ徒歩10分
主催:貴布禰神社
問合せ先:貴布禰神社06-6411-0170
http://kifunehozonkai.blog.fc2.com/


2014年1月10日金曜日

井伊太古墳

この古墳は、神社の社殿築造のために原形は著しく失われていますが、南面する前方後円墳です。古墳の規模は全長約92m、後円部径約53m、後円部高さ約3m、前方部幅約46m、周壕幅約20mを測り、尼崎市内に依存する最大の古墳と言えます。構造は、古墳時代中期(5世紀頃)と考えられています。前方部南側には、サムライ塚、白馬塚と呼ばれる2基の小墳丘がありました。これは陪塚といわれています。出土遺物は、埴輪片・埴輪片・須恵器片等があり、鏡や鉄剣が出土したと伝えられていますが、詳しいことは分かりません。この地域に勢力を持った豪族の墳墓です。
所在地:兵庫県尼崎市下坂部4-13-26








2012年4月11日水曜日

大井戸古墳

この古墳は、直径約13mの円墳と思われ、古墳時代後期に造られたものです。この時代の古墳は、丘陵上に多くの小古墳を固めて造る「群集墳」の形態をとるのが普通で、単独で平野部に古墳が造られるのはむしろ珍しい。昭和43年に確認のための調査を行い、石室は花崗岩の自然石を使用した横穴式石室で、長さ6m、幅約1.5mで、南を入り口としていることがわかりました。出土遺物は、石室内部の調査を行っていないので、封土から須恵器が出土している以外不明です。なお、現在は古墳の上に盛土して、以降を保存している。
所在地:兵庫県尼崎市武庫之荘3-425(大井戸公園内)
最寄駅:阪急神戸線武庫之荘駅



2012年3月13日火曜日

七松城

尼崎市は、特に中世には細川両家の主戦場となったために、外敵からの防禦を意識した環濠集落が至るところに形成されていた。環濠集落とは住民の屋敷の周囲にほぼ方形に環濠をめぐらせたものであり、外敵からの防禦のほかに、稲作の灌漑用水の機能も兼ね備えているものである。そうしたものが次第に集まり集合体を築くようになって大きな一つの集落になっていった。七松城もこうした環濠集落のひとつであり、戦国時代には合戦の陣所として、また天正期に城攻めの「付城」として使用されていた。すなわち、信長の有岡城攻めの際には、有岡城の支城である尼崎城を攻めるために城を囲んでいた織田信忠がその半分の兵を連れて七松に二ヶ所の「付城」を設けることとなった。七松城の特徴として水堀のラインが直線的で各コーナーはほぼ直角に曲がっており、東及び北の虎口には「横矢掛り」を意識したような構造になっている。また「字別井」「字カイチ」を含む大きな環濠とは離れた別の位置に、それに付属するように南側に「字シリア」の方形状のものが確認されており、全体として「環濠屋敷群」としての形態も残している。また、現在の七松八幡宮は寛仁三年(1019)に源頼信によって創建され、また真宗弘誓寺は享禄四年(1531)に開基されたと伝えられている。
今は神社内に石碑があるのみである。
住所:尼崎市七松町3-10-7(七松八幡神社)


塚口城跡(塚口御坊跡)

尼崎市塚口に昔塚口城というお城があったことをご存知ですか。
尼崎地方の一向一揆は、塚口御坊が中心であったとしるされています。この御坊は、応永16年(1409)に性雲上人が建てた伝えています。性雲上人が尼崎に来た時病気になり、1ヶ月余り滞在しました。この時入門した祐信が発起人となって、上人の許しを得て堂舎を建てたのが塚口御坊となりました。そののち、細川勝元と山名持豊とが応仁2年(1468)に争った時、広根(川西市)の最徳寺、多田(川西市)の光遍寺、箕輪(豊中市)の超光寺の3ヶ寺が塚口御坊を警護したとも言われます。塚口御坊が川辺郡・豊島郡・能勢郡の末寺や同情などで組織化した一揆の中心になっていたことを物語っています。塚口御坊が方2町(約200m四方)余の境内の周りに土塁を巡らし、さらに濠を巡らして戦国時代の城を構えて備えていました。そのため塚口城ともいわれています。ここが城として用いられたのは織田信長と荒木村重人の戦いのときです。塚口御坊が消滅後は正玄寺がその後を引き継いでいる。
所在地:尼崎市塚口本町1-12


井伊太古墳

この古墳は、神社の社殿築造のために原形は著しく失われていますが、南面する前方後円墳です。古墳の規模は全長約92m、後円部径約53m、後円部高さ約3m、前方部幅約46m、周壕幅約20mを測り、尼崎市内に依存する最大の古墳と言えます。構造は、古墳時代中期(5世紀頃)と考えられています。前方部南側には、サムライ塚、白馬塚と呼ばれる2基の小墳丘がありました。これは陪塚といわれています。出土遺物は、埴輪片・埴輪片・須恵器片等があり、鏡や鉄剣が出土したと伝えられていますが、詳しいことは分かりません。この地域に勢力を持った豪族の墳墓です。
所在地:兵庫県尼崎市下坂部4-13-26



大塚山古墳(天狗塚古墳)

大塚山古墳は全長42~45m、後円部の直径約24m、前方部の幅約20mの前方後円墳で、南北方面に主軸をおく。また周壕部は前方部の東西にかけては約10mの幅を持つが、前方部北側では、やや変形しており、3~6mの幅を持ち、弓状を呈している。この古墳は昭和初期の土取り作業によって封下土(塚の盛土)の大半は除去されてしまい、その時京都大学が緊急調査を行った。その結果によると、主体部は木棺を粘土で固めた粘土郭と木炭層を持った竪穴式壙(素掘りの穴)で五鈴鏡、鉄刀、鉄鏃、馬具、工具、玉類、土器などが多量に出土した。名を、古墳が作られた年代は、これらの副葬品や周壕部から発見された埴輪や末木から見て、6世紀の前半であり、葬られた人はこの地域を支配していた豪族であろうと推定される。この公園の古墳は大塚山古墳実寸を約2分の1の大きさに縮小し、墳丘を張芝による盛土、周壕部を玉石により復元している。
所在地:尼崎清水字稲荷
最寄り駅:JR猪名寺駅


岡院の石棺

永らく岡院の用水路にかけられ、硯橋と称せられて保存されてきました。昭和38年保存のため阪急神戸線の北側に映され現在に至っています。凝灰岩製、長方形の家型石棺の蓋石で古墳時代中期以降のものと思われます。現状はコンクリートで固定され、逆向きにされています。当時の記録によれば、内部にかすかに朱が付着していました。この周辺にある御願塚古墳、御園古墳、大塚山古墳、南清水古墳、池田山古墳(消滅している)があり、稲野古墳群を形成しています。この地方に有力な豪族がいたことをうかがえます。この石棺は消滅した稲野古墳群の1つから出土した物と思われます。長さ、191.7㎝、幅81.2cm、最大厚30cmだそうです。
所在地:兵庫県尼崎市御園2丁目
最寄駅:JR塚口駅(阪急塚口駅)

御園古墳

この古墳は東西に主軸をおく全長約60m、高さ約3mの古墳時代中期の前方後円墳です。現在三菱電機伊丹製作所の敷地に取り囲まれていて墳丘が御園地区の墓地になっています。
この古墳にある石棺は、昭和初期の墓地整理の時に墳丘の西部付近から発見され、その際多数の追葬時の遺物が出土したと伝えられていますが、わずかに環頭太刀(鉄製、市文化財収蔵庫保存)らが残るだけで逸材しています。石棺は、厚さ20㎝ほどの切石を組み合わせたもので、4枚の切石をつないだ底石と4枚の側石、2枚の蓋石をかぶせた長持形のものです。蓋石は両辺に縄懸け突起を作り出しています。
大きさは、長さ2.15m、幅1.2m、高さ1.1mです。
所在地:兵庫県尼崎市塚口本町8-1-24
最寄駅:JR塚口駅