2018年4月8日日曜日

難波宮内裏東方遺跡

大阪市中央区にある遺跡。日本初の本格的な首都として栄えた難波宮があった場所である。645年、難波長柄豊崎宮は、大化の改新の難波遷都に伴って造営された。昭和43年 (1968)に、大阪市立大阪青少年センターの建設に先立つ発掘調査で、この地域で、地下約1.5mのところから後期難波宮の建物や回廊などが発見されたと言う。また、難波遷都以前である飛鳥時代の建物や倉庫が発見された。ここでは、遺構面を砂で保護した上に広場を設ける特殊工法を用いて、遺構を保存している。発見された建物は、すべてが「掘立柱式」の遺構だが、 復元に際して柱位置に自然石を置いている。また、昭和56~57年の調査では、これにつながる回廊のほか、 それよりも古い前期難波宮のものと考えられる建物群も発見された。2棟の高床式倉庫を中心に整然と配置されており、 前期難波宮の東方官衙跡と推定される。

所在地:大阪府大阪市中央区法円坂1-1-35


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