2018年11月10日土曜日

「折口信夫生誕の地」の碑と文学碑

国文学者・歌人・民俗学者として知られる折口信夫は、明治20年(1887年)2月医師折口秀太郎の四男として当時の西成郡木津村市場筋に生まれました。国学院大学を卒業、のち2年半ほど府立今宮中学校(現今宮高校)の教壇に立ち、その後、国学院大学の教授となり、柳田國男の影響を受けつつ、自分でつかんだ民俗学を国文学に取り入れ新境地を開きました。釈迢空は歌人としての筆名です。昭和28年(1953年)9月に亡くなり願泉寺に分骨埋葬されました。市制 70周年記念として碑が建立され、昭和58年(1983年)には「十日戎」の一文を刻んだ文学碑が建てられています。
所在地:大阪府大阪市浪速区敷津西1丁目7番(鴎町公園内)






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