2018年6月3日日曜日

尾羽根天満宮

今より三百年前より河内國道明寺天満宮の分祀としてこの地に祀られた。当地には尾羽根庵があり、真言宗道明寺より派遣された尼僧が代々お守りしていたが、明治初期の神佛分離令により各村々の鎮守さんは百舌鳥八幡宮に合祀されたが、当天満宮だけはこの地に残された。厨子は二百八十年前泉州大鳥郡万代之庄と言った頃に当社の再興に当たり、享保七年(1722)八月堺湯屋町の富豪布屋谷善右衛門齋泉主より寄進されたもの。社殿は木造であったが平成九年十二月吉日鉄社に造営された。菅原道真をまつる。由来は、もともと尾羽根には梅松庵と呼ばれる真言宗の尼寺があり、その横に天神があったとされ、河内道明寺天満宮の分祀として祀られている。尾羽根天満宮には、菅原道真像が祀られている厨子があるが、これは、享保7年に布屋谷善右衛門斉泉氏が寄進されたもの。  
所在地:大阪府堺市北区百舌鳥梅町2丁426









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