2015年5月8日金曜日

心学明誠舎跡

江戸時代、「心学」は「石門心学」とも呼ばれ、石田梅岩が京都で唱えた。日常生活や商人道徳をわかりやすく講義したので、非常に人気を集めた。大阪では、梅岩の孫弟子に当たる井上宗甫(三木屋太兵衛)が、天明5年(1785)、心斎橋筋の居宅の一部を開放して「心学明誠舎」を創立した。大阪の中心に位置していたため、商家の主人たちから支持され、金田町(現博労町)に新校舎を建てるまでになった。明治維新後、校舎を小学校に提供したため、拠点を失ったが、明治14年(1881)、現在石碑が建っている長堀マシ筋に新拠点が開設された。やがて社団法人となり、山田俊卿が発展させた。校舎は大阪大空襲で消失した。
所在地:大阪府大阪市中央区島之内1-21-20
最寄駅:大阪市営地下鉄堺筋線/長堀鶴見緑地線長堀橋駅


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