2015年4月20日月曜日

帝国座跡

オッペケペー節で知られた川上音二郎が、新しい演劇の拠点として明治43年(1910)に建築した野毛帝国座。大阪発の順様式劇場で、花道やオーケストラボックスも備わっていた。1000人を収容でき、「オセロ」「ベニスの商人」などを上演。帝国座の運営は完成当時から行き詰まり、やがて立ち行かなくなる。その後、建物は進駐軍のチャペルとして使われた。昭和40年(1965)頃まで北浜教会として使われていたが、今はその場所に碑が残るのみである。藩の御用商人であった音二郎の父は、遊芸が好きで家庭を顧みなかったという。母は学問好きで「父のようにならず、太閤秀吉のように立身出世をしなさい」と言い残して死んでしまう。音二郎14歳の時だった。その後、音二郎は船の積荷の影に隠れて、東京へ行きつく。福沢諭吉に見出され、慶応義塾の書生に成ったり、巡査、新聞記者、寄席芸人などさまざまな職業を転々とする。やがてオッペケペーで有名になり、演劇界の風雲児となる。音二郎は、自ら舞台に立って演劇界を刺激し続けた。「女優養成所」を設立するなど革新的なシステムを確立。数々の批判を受けながらも、その演劇魂は民衆に大反響を呼んだ。しかし、帝国座会場の翌年、旅先の舞台で発病。妻で女優の貞奴は、音二郎を病院から帝国座に運び込み、楽屋で臨終を迎えさせた。享年47歳。葬儀では、別れを惜しむ大阪市民が町を埋め尽くしたという。
所在地:大阪府大阪市中央区北浜4-4住友信託銀行南館前
最寄駅:大阪市営地下鉄御堂筋線淀屋橋駅/四つ橋線肥後橋駅、京阪電鉄淀屋橋駅




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