2014年12月28日日曜日

文塚

中古36歌仙の1人で、平安時代の代表的歌人である能因法師が、死期を前にして吟稿(和歌の原稿)埋めた所と伝えられている。所在は不明であったが、江戸時代の嘉永2(1849)年、山藤辰政がこの碑を立てて顕彰した。晴れた日には、はるか南に生駒の山並みが望め「わが宿の梢の夏になるときは生駒の山ぞ見えずなりける」と詠んだ能因の時代がしのばれる。
所在地:大阪府高槻市古曽部町



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