2014年12月28日日曜日

富田の酒造業

摂津富田は中世末期に、浄土真宗を中心に発達した寺内町である。富田の酒造業は1695(元禄8)年刊行の「本朝食鑑」に「和州南都造酒第一にして摂津・伊丹・鴻池・池田・富田これにつぐ」とあり、当時は酒造が最大の産業であった。1600(慶弔5)年、関が原の戦いで徳川方の食料調達に協力した清水家(紅屋)は、幕府から特権的な酒造株を認められ、酒造を開始した。その後、紅屋を中心に酒造業が発展し、明暦年間(1655~58)には、造酒屋24軒を数え、伊丹・池田と並ぶ、銘酒の産地となった。良質の酒米と富田台地の石灰層から湧き出る地下水を使った富田酒は、江戸までその名を知られるようになった。しかし、江戸時代中期に、西宮・灘の海岸地域に新しく酒造業が成立し、江戸への樽廻船による輸送経路が確立すると、立地条件の悪い富田の酒造業は、衰退して言った。1839(天保10)年には、造酒屋はわずか6軒になったという。現在では2軒の造酒屋が、本照寺や教行寺付近に店を構え、伝統の製法や技術を受け継ぎ、富田酒を守り続けている。
所在地:大阪府高槻市富田6







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