2012年6月29日金曜日

天神祭

天神祭は、全国の天満宮(天神社)で催される祭り。祭神の菅原道真の命日にちなんだ縁日で、25日前後に行われる。一年のうち1月の初天神祭など、ある月に盛大に行われることがある。各神社で行われる天神祭の中では、大阪天満宮を中心として大阪市で行われる天神祭が有名である。以下より大阪天神祭のことについて記述する。日本三大祭(他は、京都の祇園祭、東京の神田祭)の一つ。また、四天王寺別院の勝鬘院愛染堂の愛染祭(神式では愛染祭に替えて生国魂神社の生玉夏祭)、住吉大社の住吉祭と共に大阪三大夏祭りの一つ。期間は6月下旬吉日 - 7月25日の約1ヶ月間に渡り諸行事が行われる。特に、25日の本宮の夜は、大川(旧淀川)に多くの船が行き交う船渡御(ふなとぎょ)が行われ、奉納花火があがる。大川に映る篝火や提灯灯り、花火などの華麗な姿より火と水の祭典とも呼ばれている。他に鉾流神事、陸渡御などの神事が行われる。24日宵宮、25日本宮。
○歴史
天神祭は大阪天満宮が鎮座した2年後の天暦5年(951年)6月1日より始まったとされている。この時の祭事は大川より神鉾を流して、流れ着いた場所に祭場を設けて、その祭場で禊払いを行うというものであった。これが鉾流神事の元となり、その祭場に船で奉迎したことが船渡御の起源となっていると伝えられている。天神祭は続いてきたが、日本三大祭の一つと呼ばれるようになるのは江戸時代からである。安土桃山時代に豊臣秀吉より催太鼓を拝領する。寛永末期に祭場(御旅所)を雑喉場(ざこば)に定めたため鉾流神事が取りやめられる。このころ陸渡御の起源となる地車が登場する。慶安2年にでたお触書によると、多くの地車が争って宮入しようとするため順番を決めさせたとある。寛文末期に御旅所が戎島に移転。元禄時代になると御迎人形と呼ばれる2メートルほどの人形を船の穂先に高く飾り付けるようになる。またこの頃より講が形成され日本三大祭りとして呼ばれるようになる。この頃の天神祭の壮大さは『東海道中膝栗毛』や『世間胸算用』の中に見ることが出来る。慶応元年、将軍徳川家茂が長州征伐のため大阪城に入城したため、天神祭は中止される。この年以降、維新の騒乱により明治4年に復活するまで中止された。明治7年に船渡御が中止され、本社営繕やコレラの流行のため明治14年に復活するまで再び中止された(陸渡御のみ行っていた年もある)。それ以外でも明治天皇の崩御や大川の水位が上昇したためなど度々中止されることもあった。昭和5年に食満南北の提言により鉾流神事が復活。昭和13年から昭和23年まで日中戦争、第二次世界大戦の影響により船渡御や祭事そのものが中止された。昭和24年に船渡御が復活するが地盤沈下の影響で船が橋の下をくぐり御旅所に到着することが困難になったため再び中止され、昭和28年に上流に遡る形になる。昭和49年オイルショックの影響で船渡御が中止される。昭和56年にギャルみこしが誕生。平成3年より水都祭と天神祭奉納花火が合同で行われる。平成6年にブリスベンで天神祭斎行される。平成17年、ギャルみこし誕生25周年イベントが行われた。平成9年は台風の影響で、本宮が縮小され、平成12年は7月25日が香淳皇后の斂葬の儀の為、本宮が休みとなり翌日の7月26日に振り替えで本宮が開催された。
○日程
6月下旬吉日:装束賜式(天神祭神事始め)
6月下旬:船割り、浴衣販売
7月7日:天満天神七夕祭(天神祭前儀)
7月11日:船渡御事始式
7月15日:葦奉納式
7月18日前後:台搦み
7月21日前後:本社神輿蔵出し
7月22日:伏見三十石船献酒祭
7月23日:宵々宮(俗称)、御羽車巡幸、庖丁式
7月24日:宵宮、鉾流神事、催太鼓宮入、獅子舞宮入
7月25日:本宮、夏大祭神事、神霊移御祭、陸渡御、船渡御、還御祭
○各種行事
時間、祭事、催事は平成18年の行程を参考。
・装束賜式 (6月下旬吉日)
天神祭の神事始めの行事で、この装束賜式より天神祭の諸行事が始められる。 平成18年度諸役(神童、随身、牛曳童児、猿田彦)の装束賜式{しょうぞくたばりしき}(任命式)が、6月25日11時45分より行われた。 まず、宮司より辞令が渡され、諸役を務める心構えなどが話される。 この日より、諸役は斎戒と言って祭りまで慎むことやしてはならないことがお宮から言い渡される。 例えば、一、葬儀に参列すること。一、喧嘩、もめ事などの争いごと。一、その他不浄に関与すること、等がある。その後、諸役の衣装をつけ、本殿で報告祭を執り行う。
・宵宮(7月24日)
4:00 - 打ち出し
催太鼓の一番太鼓と、続いてだんじり囃子の一番鉦が祭の開始を告げる。大門開門。
7:45 - 宵宮祭
本殿において人々の無病息災と鉾流神事の無事が祈願される。
8:50 - 鉾流神事
神鉾講より推挙された大阪市立西天満小学校の6年生の男子の神童によって鉾流橋の水上より鉾を流す。元々は上記のように鉾が流れ着いた場所を御旅所と定めて祭礼を行ったが、御旅所が固定されてからはその役目は担っていない。
鉾流神事が終わると氏地巡行まで正式な祭事はないが、各場所でいろいろな催事が執り行われている。下記に記述。
16:00 - 氏地巡行
まず、催太鼓による「からうす」がおこなわれ、その後催し太鼓と獅子舞が氏地を巡行する。
・本宮(7月25日)
13:30 - 夏大祭
氏地、氏子の平安を祈り、神霊移御祭で御霊を御鳳輦(ごほうれん)に移す。
15:30 - 陸渡御(りくとぎょ)
祭のメインイベントの一つ。船渡御の乗船場までの約4キロを約3000人が渡御する。行列は先頭が催し太鼓で、続いて猿田彦や采女(うねめ)、花傘、猩々の人形を乗せた山車、牛曳童児などの第一陣、御羽車や神霊を移した御鳳輦のある第二陣、玉神輿と鳳神輿の第三陣によって構成される。 陸渡御の順番は、太鼓中、神鉾講、地車講、天満ライオンズ奉仕講、天神講、釆女、稚児、敬神婦人会、大阪書林御文庫講、福梅講(牛曳童児)、御旗講、花傘講、総奉行、大阪府知事、大阪市長、榊講(大真榊)、御羽車講、丑日講、御錦蓋講、御菅蓋講、御鳳輦講、氏子総代、協賛会委員、玉神輿、鳳神輿、菅公会(祭り囃子)の順である。
18:00 - 船渡御
陸渡御につづいてメインイベントの一つ。船は4種類に分けれられ、御神霊をのせた御鳳輦奉安船、催太鼓船や地車囃子船など神に仕える講社の供奉船、神をお迎えする風流人形を飾った御迎船、協賛団体や市民船などの奉拝船、その他どんどこ船や落語船など祭を盛り上げるため自由に航行できる列外船がある。奉安船や供奉船が天神橋のたもとから出航して大川を遡り、反転して下る。協賛団体による奉拝船は飛翔橋より下り、天神橋で反転し遡る。船同士が行き交う時には大阪締めが交換されるが、御鳳輦奉安船が通過するときは沈黙するのがならわしである。他に舞台船や篝船などもあるが、渡御せずに定着して神楽等を奉納する。御神霊を乗せた御鳳輦奉安船を見下ろすことがないように、御鳳輦奉安船の通過する橋の中央には正中の覆いがされる。渡御の渡中、御鳳輦船では水上祭が斎行される。定着している舞台船や供奉船から神楽や囃子が奉納される。この頃から花火講によって奉納花火が打ち上げられて祭は最大に盛り上がる。(1999年より花火講は消滅し、天神祭花火実行委員会によって、川崎公園・桜ノ宮公園の2箇所で奉納花火が実施されている。また2002年より川崎公園の打上現場は大阪日日新聞主催の水都祭として花火が打ち上げられている。)
22:00 - 宮入り・還御祭
渡御が終わった一団が天満宮に戻り、催太鼓と共に大阪締めを行う。獅子舞が四方清めと本殿へ走りこみ、その後還御祭が本殿で斎行されて祭りは終わる。
神事として祭のスケジュールには含まれていないが境内では地車囃子や龍踊りが奉納されたり、お迎え人形が展示されたりしている。境外でも下記のような催事が執り行われている。
・ギャルみこし
7月23日にオーディションで選ばれた女性が担ぐ神輿巡行。主催は天神橋筋商店会。選考がユニークで米俵を持ち上げる選考とかくし芸などのPR選考によって選出される。 ギャルみこしは、祭の渡御列(本隊)には参加しない。
・自動車渡御
宵宮の10:00頃から市内をトラックによってパレードを行う。トラックには子供神輿や地車囃子などが乗り込む。
・町内神輿宮入り
氏地の各町内の神輿が境内に宮入を行う。
・ドラゴンボート国際選手権
昭和63年から奉納イベントの一環として行われているドラゴンボートレース。 サンケイスポーツ主催。
・テレビ中継
本宮の日はテレビ大阪にて生放送される(19:00~20:54、関西ローカル)。なお、当日放送されるテレビ東京発の番組は、直近の土曜スペシャル枠で振替放送される[1]。但し土曜日の開催の場合はこの枠にて放送するため、振替放送はない。
○天神祭に参加するには
天神祭に参加するためには基本的に講に所属しなければならない。天神祭はあくまで大阪天満宮の氏子による祭事であるためである。しかしながら、講の条件は厳しくなく、大阪天満ライオンズクラブ奉仕講など新しい講も認められている。また、講の人員不足のためアルバイトやボランティアといった形で参加することもできる。他には市民奉拝船が公募に応募したり、帝国ホテルの奉拝船のチケットを購入して船渡御に参加する手段もある。 天神祭清掃ボランティア天神祭美化委員会(ダストバスターズ)に参加する。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。