2012年3月5日月曜日

桜島神社

桜島神社とは、平成8年に日立造船エンジニアリングセンターの、南港移転時に作られた神社で、咲洲にある唯一の神社である。
○所在地
大阪府大阪市住之江区南港北1-7



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桜島神社 桜島神社 桜島神社とは、平成8年に日立造船エンジニアリングセンターの、南港移転時に作られた神社で、咲洲にある唯一の神社である。 ○所在地 大阪府大阪市住之江区南港北1-7

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鴉宮

鴉宮は、大阪府大阪市此花区に鎮座する神社。
○祭神
天照大神
配祀:住吉大神、蛭子大神、息長足姫命
○由緒
順徳天皇の御代に当たる建保3年(1215年)4月、村と港の繁栄を祈念して、伝法村の中心に傳母頭神社として鎮座したことに始まる。文禄元年(1592年)2月に当社を訪れた豊臣秀吉が旅の無事を祈願したところ、社殿奥の森より三足の鴉が現れて数々の瑞兆を示したという。平穏に帰国を果たした秀吉は感激し、当社に「鴉宮」の名を贈った。それに合わせ、鴉が巣を成している森地に遷宮したと伝えられている。江戸時代に入ると神領を没収されるなどして衰退したが明治時代に復興、酉島町の住吉神社、秀野町の住吉神社を合祀して現在に至っている。
○主な祭礼
例祭は11月3日。夏祭りには、3台の布団太鼓が繰り出される。
○摂社
稲荷神社 - 宇賀魂大神を祀る。
船玉神社 - 船玉大神を祀る。
猿田彦神社 - 猿田彦大神を祀る。
○交通
阪神なんば線伝法駅下車 東へ200m
国道43号 伝法4丁目交差点から東へ300m
○所在地
大阪府大阪市此花区伝法2丁目10-18








朝日神明社

朝日神明社は、大阪府大阪市此花区にある神社。別称として、逆櫓社(さかろのやしろ)。
○祭神
天照皇大神
倭比売命
春日大神
菅原道真
○祭礼
1月1日 歳旦祭
2月節分 節分祭
4月15日 初日稲荷社例祭
7月第2土曜日 夏季例祭宵宮
7月第2日曜日 夏季例祭本宮
10月16日 秋季例大祭
○沿革
明治40年(1907年)に、朝日神明宮(現・大阪市中央区)と皇大神社(現・大阪市此花区)を合祀して、社号を朝日神明社とした。そのとき、春日神社(現・此花区春日出)と安喜良神社(現・西区阿波座)を合祀した。
明治維新以降、二社(朝日神明宮・皇大神社)とも社運が衰微し、維持が困難となり、合併合祀され、現社号に改称して、此花区川岸町に鎮座した。その後、境内周辺の喧噪が甚だしくなり、現在の社殿がある場所へ遷座することとなった。
昭和20年(1945年)6月1日、大阪大空襲により、社殿のほか、すべてが灰燼に帰したが、昭和24年(1949年)に本殿、昭和40年(1965年)には中門と拝殿を復興・再建を果たした。
 朝日神明宮 [編集]朝日神明宮は、浪速三神明(朝日神明宮・日中神明宮・夕日神明宮)の一つに数えられて、大阪市中央区神崎町にあった。平貞盛が父平国香を(平将門の乱)によって、平将門に殺されたために、父の仇を討つため、天慶年間(938年~947年)、大阪に天照皇大神を奉祀し、社殿を営んで戦勝祈願を行ったことを創建の起こりとする。その後、平貞盛が平将門を討ち取ったことを朱雀天皇に奏上すると、御神徳を讃られて、「朝日宮」の社号を贈られた。以後、朝敵追討の際は、奉幣使を遣わして、敵徒降伏の祈願を行った。
源義経が平家追討へ西国へ赴くとき、戦勝祈願を行った。源義経と梶原景時が「逆櫓の論」を行ったが、朝日神明宮において、平家追討の祈願を行ったので、戦勝の確信があり、梶原景時に論争を挑んだという。この故事から、別称が逆櫓社と呼ばれるようになった。
豊臣時代、大坂城築城の際、多くの社寺が遷座を命じられたが、遷座させられることはなく、豊臣秀吉の崇敬を受け、毎年、米百俵の寄進が行われた。また、大坂夏の陣(1615年)では、真田幸村が金色の采配を奉納し、出陣したとされる。
江戸時代、大坂城代が参拝し、神前に供物を献じている。
○皇大神社
皇大神社は此花区川岸町にあったが、天保6年(1835年)に伊勢神宮より御神霊を勧請し、神祠を建てて、川岸町の新田の鎮守社(皇大神社)とした。
○施設
本殿
拝殿
幣殿
中門
手水舎
○境内末社
初日稲荷社(祭神 倉稲魂命)
春日社(平成6年(1994年)、春日大社本宮旧社を移築)
○所在地
大阪市此花区春日出中1-6-21







諏訪神社

諏訪神社は大阪府大阪市城東区にある神社である。
○祭神
建御名方刀美命(たけみなかたとみのみこと)
八坂刀売之命(やさかとめのみこと)
長野県にある諏訪大社の分社である。
○由緒
創建の年代は不明。境内にある石灯籠に承和3年(836年)4月寄進と刻まれているので、平安時代前期にはあったとされる。菅原道真が大宰府に左遷される道中で当神社に参拝したと伝わる。
○摂末社
摂社 大國神社
末社 談山神社、春宮神社、天満宮(腰掛天満宮)、玉長社、招魂社
○所在地
大阪府大阪市城東区諏訪二丁目15-16

道頓堀

道頓堀は、大阪府大阪市中央区の町名。木津川と、東横堀川を結ぶ全長約2.5kmの川は道頓堀川という。一部で「とんぼり」と略称される事もあるが定着しておらず、地元では略さずに「どうとんぼり」と表現している。
○概要
1612年、安井道頓(成安道頓)・安井道卜(どうぼく)、平野郷の安藤藤次(平野藤次)らが私財を投じて運河開削に着工、1615年(元和元年)に完成した。新堀・南堀川・新川などと呼ばれていたが、松平忠明が道頓の功績を評価し、道頓堀と名づける。1660年代から劇場ができはじめ、中座、角座、竹本座、浪花座、弁天座、朝日座などの劇場で、歌舞伎や人形浄瑠璃が演じられた。日本橋北詰東に安井道頓・道ト紀功碑がある。1854年12月、宝永地震により発生した津波が大阪湾内の河川を遡上。道頓堀付近まで水没したと伝えられている[1]。現代の道頓堀は、大阪ミナミの繁華街。道頓堀に沿う商店街に飲食店が集中。グリコネオン、キリンプラザ大阪(閉館)、かに道楽本店、づぼらや(ふぐ料理)、くいだおれ(閉店)、道とん堀大阪支社、道頓堀ホテル、道頓堀極樂商店街(閉館)など、多種多様な看板・建物の店舗があふれている地域である。道頓堀にかかる戎橋は、2007年11月22日に82年ぶりとなる架け替え工事が完了。また、戎橋から太左衛門橋の両岸に、「とんぼりリバーウォーク」という名称の遊歩道が整備されている。川に面して、ドン・キホーテの楕円形観覧車が設置されている。この観覧車の愛称は、2005年8月31日、公募により「えびすタワー」に決まった。観光船が通い、川側からの出入りが出来るようになり、活性化が期待されている。地元商店会によって催しなども開催されている。また、目の前には太左右衛門橋船着場が設けられ、遊覧船(とんぼりリバークルーズえちぜん号・アクアミニ水都号)などが発着している。なお、河川名は、西区との境界、阪神高速1号環状線がある所でもある西横堀川合流点までが「東道頓堀川」で、それより先を「西道頓堀川」と呼ぶこともある。
○風物詩
・船乗り込み
歌舞伎役者など、道頓堀の芝居小屋で興行を行う際、船に乗り込み道頓堀川の船上にて芝居のPRを行う一種のパレード。毎年の夏の公演の他、襲名披露公演でも実施(近年では中村勘三郎襲名披露等)。
・とんぼりワッショイ
春・秋に開かれるアートイベント。
○道頓堀川八丁
道頓堀開削とともに成立した8町。島之内南端の北岸に西から久左衛門町・御前町・宗右衛門町・大和町。芝居小屋が並ぶ南岸に西から湊町・九郎右衛門町・吉左衛門町・立慶町。現在も宗右衛門町と湊町の2町名が残っている。
○道頓堀五座
戎橋南詰から東に存在した、浪花座・中座・角座・朝日座・弁天座の五つの劇場のことで、1653年(承応2年)に芝居名代5株が公認されたことに始まる。「五つ櫓」とも言う。道頓堀を代表する劇場群で、近代に至るまで、歌舞伎や仁輪加(軽演劇)、人形浄瑠璃などが賑々しく興行された。昭和初期までにこれらの劇場はすべて松竹の経営に移り、一部は映画館に転向した。第二次世界大戦後、朝日座が東映に売却され大阪東映劇場(後に道頓堀東映と改称)となる。弁天座は文楽座と改称され、人形浄瑠璃の常打劇場となるが、やがて人形浄瑠璃は松竹の手を離れ、朝日座と改称。角座は演芸場に転換、演芸ブームで隆盛を誇ったが、漫才ブーム終了後に失速。いずれも昭和末期に閉鎖された。平成に入りバブル崩壊を受け、松竹は残った中座(松竹新喜劇の本拠地)、浪花座(松竹芸能の本拠地)を相次いで閉鎖し、映画館の入った商業ビルとして復活していた角座も含めてことごとく敷地を売却。ここに、道頓堀五座は事実上消滅した。なお、中座解体途中に爆発事故を起こして建物は崩壊し、中座の南側にある法善寺横丁が大打撃を受けた。現在商業演劇や歌舞伎の定期公演などは大阪松竹座で行われているが、道頓堀五座とは別個の劇場である。また、演芸は浪花座跡地の「サミー戎プラザ」内にある「ゑびす座」で演芸興行などが行われている。なお中座は、2009年7月に中座くいだおれビルとしてリニューアルオープンし、くいだおれ太郎が復活し話題となった。
○道頓堀裁判
安井道頓の従弟、安井道卜(どうぼく)の子孫が1965年1月4日、道頓堀の川底の所有権を主張して、大阪地方裁判所に起こした民事裁判。江戸時代の所有権の有効性、目的喪失後の慣行水利権の有無、法律未整備時の所有の概念の有無など、多くの問題を提起した。1976年10月19日に、安井氏の請求を棄却する判決が出された。

○水質
道頓堀川の水質は、昭和40年代には年平均BOD値が30mg/lを超えるなど極めて悪かったが、大阪市都市環境局の対策もあって、近年ではBOD値が5mg/l以下と大幅に改善している。ハスなどの魚の姿も見られるようになってきた。ただし、DO値が2mg/l程度と低く、大腸菌などの有害な嫌気性細菌が多くおり、人が泳ぐには適さない。また、濁度が高く(水が濁っている)、見た目にも綺麗な河川とは言いがたい。現在、合流式下水道の改善などが図られているため、数年後にはさらに水質が改善される見込みである。また、2003年にNPO法人「大阪・水かいどう808」が、水質浄化目的で、真珠の母貝のひとつである、イケチョウ貝の養殖を開始した。この貝は、1日にドラム缶1本分の水を浄化できるとされている。2006年1月9日に開貝式があり、真珠も採取された。

 


2012年3月4日日曜日

都島神社

都島神社は、大阪府大阪市都島区に鎮座する神社。
○由緒と史跡
当地はかつて屈曲する淀川本流(現在の大川)の左岸に当たり、洪水に度々見舞われた。後白河法皇が当地へ行幸した際にこれを哀れみ、当地の守護神として神社を置くよう命じた。当社の歴史は、これを受けた毛馬・滓上江・友渕など8村が協力し、永暦元年(1160年)に十五社神社を建立したことに始まる。当初の社名は天照大神のほか15神を合祀したことによるが、昭和18年(1943年)に都島神社と改称した。旧本殿その他は大阪大空襲で焼失し、昭和24年(1949年)に再建された。境内に立つ石造三重宝篋印塔は鎌倉時代後期の嘉元2年(1304年)の銘があり、大阪市内最古の石造遺物として、大阪府の有形文化財に指定されている。
○主な祭礼
例祭は7月22日。翌23日にかけて、だんじりや獅子舞が繰り出す。
○交通
大阪市営地下鉄谷町線 都島駅下車北西へ100m
大阪市道大阪環状線(都島通)都島本通交差点から西へ200m
○所在地
大阪府大阪市都島区都島本通1丁目5





浄妙寺

浄妙寺は、大阪市都島区に所在する日蓮正宗の寺院。山号は正興山。
○起源と歴史
1955年(昭和30年)4月11日 - 建立される。開基は日蓮正宗大石寺第64世法主日昇上人。
1964年(昭和39年)3月16日 - 2代目の本堂庫裏新築落慶入仏式が行なわれ、第66世法主日達上人が親修する。
1981年(昭和56年)12月16日 - 3代目の本堂庫裏新築落慶入仏式が行なわれ、第67世法主日顕上人が親修する。
○所在地
大阪市都島区中野町4丁目15-16

比売許曽神社

比売許曽神社は、大阪市東成区にある神社である。旧社格は村社。式内名神大社「摂津国東生郡 比売許曽神社(下照比売社)」の論社の一社である(もう一社は高津宮摂社・比売古曽神社)。
○祭神
下照比売命を主祭神とし、速素盞嗚命・味耜高彦根命・大小橋命・大鷦鷯命・橘豊日命を配祀する。ただし、江戸時代の天明年間までは、牛頭天王を主祭神とする牛頭天王社であった。『古事記』には、新羅から来た阿加流比売神が難波の比売碁曽の社に坐すと記されており、『日本書紀』にも同様の記述がある。ただし、『延喜式神名帳』では下照比売社が比売許曽神社であると記し、阿加流比売命を祀る赤留比売神社は住吉郡に記している。
○歴史
垂仁天皇2年7月、愛来目山(現在の天王寺区小橋町一帯の高台)に下照比売命を祀り、「高津天神」と称したことに始まると伝えられる。顕宗天皇の時代に社殿が造営された。延喜式神名帳では名神大社に列し、新嘗・相嘗の奉幣に預ると記載されている。当社の境外末社・産湯稲荷神社がある地が旧鎮座地と推定されている。天正年間、織田信長の石山本願寺攻めの兵火に遭って社殿を焼失した。社伝では、神体は焼失を免れ、摂社であった現在地の牛頭天王社内に遷座したと伝えているが、事実かどうかは不詳である。天正以後は荒廃し、所在が不明となっていたが、天明8年(1788年)、ある者が比売許曽神社の旧記神宝を発見したと唱え、それに基づいて比売許曽神社の縁起が編纂され、牛頭天王社を式内・比売許曽神社に当て、下照比売命を祀ってこれを主祭神とした。『大阪府神社史資料』では、その縁起は「信ずべきものにあらず」と記している。明治5年に村社に列した。
○所在地
大阪府大阪市東成区東小橋3-8-14
○例祭
10月15日


難波寺

難波寺は、大阪府大阪市生野区にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は月江山。本尊は十一面観音。
○歴史
この寺は、752年(天平8年)勅命により行基によって現在の天王寺区東高津町に創建されたと伝えられ、当初天台宗に属していた。室町時代に入ると荒廃し、江戸時代に入って中興され臨済宗に改められた。1925年(大正14年)現在地に移された。
○交通アクセス
大阪市営地下鉄千日前線北巽駅より西に徒歩14分
○所在地
大阪府大阪市生野区巽北1-7-18

巽神社

巽神社は、大阪市生野区巽南にある神社である。応神天皇を主祭神とし、印色入日子命・伊弉册尊・天常立尊・天照大神・天児屋根命・菅原道真を配祀する。
○歴史
1907年(明治40年)4月27日、中河内郡(旧渋川郡)巽村内にあった八幡神社(祭神 応神天皇)に、村内の5社(大字大地字印地の横野神社(式内社。祭神 印色入日子命)・大字伊加賀字伊加賀の天神杜・大字西足代字葭の内の天照皇大神社・大字矢柄字宮の前の熊野神社・大字四条字山小路の天神杜)を合祀し、村名をとって巽神社と改称したものである。
○式内・横野神社
現在地の北東約1キロメートルの生野区巽西3丁目9に「横野神社跡」がある。かつては「印地宮」と呼ばれていた池の小祠であったが、1731年(享保16年)2月18日に式内・横野神社であるとして横野神社に改称し、祭神を垂仁天皇の第二皇子の印色入日子命と定めた。『日本書紀』に仁徳天皇13年に横野堤を築いたとの記述があり、この堤の鎮守であったものとみられる。
○所在地
大阪府大阪市生野区巽南3丁目17-19
○例祭
10月14日








清見原神社

清見原神社は、大阪府大阪市生野区にある神社である。天武天皇を主祭神とし、明治の神社合祀により素盞嗚尊・大山咋命・天水分神・國水分神を合わせ祀る。
○歴史
水害により社記等が流失したため創建の詳細は不詳である。口伝によれば、天武天皇が大和の飛鳥浄御原宮から難波に行幸した際に現在の当社鎮座地で休憩したという。現在の社名はこの伝承によるものであり、このとき天武天皇が吉野の方をかえり見たとのことから、附近の地名「吉野見」が生まれた。天武天皇の歿後、一帯を本拠としていた大伴氏が天武天皇を祀る神社を創建し、天武天皇宮と称したと伝えられる。以降、旧大友村の氏神として崇敬された。明治5年、清見原宮に改称した。明治42年、政府の神社合祀政策に基づき、小路村内にある旧片江村の素盞嗚尊神社(祭神 素盞嗚尊)、旧中川村の松尾神社(祭神 大山咋命)、旧腹見村の木守勝手神社(祭神 天水分神・国水分神)、旧大瀬村の八劔神社(祭神 神素盞嗚尊)を、村の中心部で学校もある旧大友村の清見原宮に合祀し、村名をとって小路神社に改称した。昭和17年(1942年)、紀元2600年記念事業として境内拡張、社殿増改築が行われ、この際に現在の清見原神社に改称した。
○所在地
大阪府大阪市生野区小路2-24-35
○例祭
8月1日

成恩寺

成恩寺は、大阪市生野区林寺にある臨済宗東福寺派の準別格寺院。山号を宝興山、別名・東福寺大阪別院ともいう。弘安2年(1279年)、関白・一条実経が東福寺の禅師・奇山円然を招いて開山したのが創建の経緯と伝わる。境内には福徳弁財天像、生野天神などが安置されている。また、毎年3月には大相撲・北の湖部屋の宿舎として利用されている。
○所在地
大阪市生野区林寺3-10-16

御幸森天神宮

御幸森天神宮は、大阪府大阪市生野区(旧摂津国東生郡猪飼野村)にある神社である。 仁徳天皇、少彦名命、忍坂彦命を祀る、猪飼野村の氏神である。
○歴史
御幸森天神宮のある地域は古くから猪飼野と呼ばれ、猪甘津(いかいのつ)と呼ばれる古代の港があったことに由来する。猪甘津は日本書紀仁徳天皇十四年の条に記され、猪甘部(いかいべ)と呼ばれる官職を務める者が住んでいた。猪甘部は朝廷への貢物として豚を飼育する役を司っていた。また付近は百済野と呼ばれ百済からの渡来人が多く住んでいた。水鳥が集まる景勝地であったとも伝えられている。伝承によれば、仁徳天皇が鷹狩や渡来人の様子を見聞する御幸に際して、度々この地の森で休憩したことから御幸の森と呼ばれるようになったとされる。仁徳天皇崩御の後の反正天皇2年406年、天皇の神霊を祀る社が建立され、御幸の祠や御幸宮と称されたと伝えられている。
○境内
本殿
幣殿
拝殿
・境内社
御幸戎神社
稲荷神社
菅原神社
○文化財
1968年10月1日、境内の椋の木(樹齢約700年)が大阪市の保存樹木に指定。
2000年4月28日、本殿、幣殿、拝殿、透塀が登録有形文化財に登録。
○所在地
大阪府大阪市生野区桃谷3丁目10番5号
○例祭
10月15日、16日









圓徳寺

圓徳寺は、大阪市生野区にある真宗大谷派の寺院。
○由緒
1488年(長享2年)郷士上場正欽が、蓮如を招き、自邸を寺に改めて創建されたという。
○所在地
大阪府大阪市生野区巽中4-8-26






正圓寺

正圓寺は、大阪府大阪市阿倍野区にある仏教寺院。通称「天下茶屋の聖天さん」。
○歴史
天慶2年(939年)光道和尚により開基。当時は、現在地より東に500mのところにあった般若山阿部寺の一坊であったが、元禄時代(1688年-1703年)に義道見明和尚が寺を移転し、海照山正圓寺と改めた。 本尊は木彫の大聖歓喜双身天王で、これは日本最大である。
○境内
境内には鎮守の神を祭る奥之院と呼ばれる場所があり、鎮守堂(荼枳尼天)、寄松塚(八本松竜王)、石切社分祠、浪切不動明王、弁才天祠などが祭られている。また「聖天山正圓寺」とも言われるが、「聖天山」は山号ではなく標高14mの低山の名前で、山頂は正圓寺境内にある。 ちなみにこの山は聖天山古墳と呼ばれる古墳であることが分かっている。
○所在地
大阪府大阪市阿倍野区松虫通三丁目2番32号










広宣寺

広宣寺は、大阪市阿倍野区に所在する日蓮正宗の寺院であるが、正信会の僧侶が占有し居住している。山号は正法山(しょうほうさん)。
○起源と歴史
1932年(昭和7年)5月24日 - 聖道会教会所として建立される。開基は日蓮正宗大石寺第60世法主日開上人。
1950年(昭和25年)5月25日 - 寺号山号を公称する。
1982年(昭和57年)2月5日 - 当時の住職が第67世法主日顕上人の法主としての地位を否定したため、日蓮正宗の宗制宗規に違背したことにより破門されたが、広宣寺を占有し、居住している。
広宣寺は日蓮正宗の末寺である。現住職(代表役員)も日蓮正宗の僧侶(大阪市東住吉区の法住寺住職が兼務)である。また、総代(責任役員)も日蓮正宗の信徒であり、土地建物も広宣寺の所有するところである。ただし裁判所の当時の住職の地位保全の決定によって、存命中は広宣寺を占有することは認められているため、何らかの理由で退去しない限りは日蓮正宗は広宣寺においては宗教活動をすることはできない状態である。
○所在地
大阪府大阪市阿倍野区阪南町3丁目43-7
○交通アクセス
大阪市営地下鉄御堂筋線西田辺駅から徒歩10分
阪和線南田辺駅から徒歩5分




源正寺

源正寺は、大阪府大阪市阿倍野区にある、浄土宗の寺院。知恩院の末寺である。
○由緒
1687年(貞享4年)、祐天上人により、現在の大阪上本町駅附近に開山。寛政年間まで荒廃していたが、紀州藩の家老の援助を受け再興。徳川慶喜が大政奉還の直後に来阪した折、市中取締のため、新選組の屯所がここに置かれる。1925年(大正14年)、大軌電車(近畿日本鉄道の前身)の上本町駅(当時)建設の折、当地に移転してきた(楼門なども一緒に移建されている)。
○所在地
大阪府大阪市阿倍野区阿倍野元町18-34
○交通
阪堺電気軌道上町線北畠駅
○その他
鳥羽伏見の戦いで敗走してきた幕兵に変装用の衣類を与え、紀州に落としてやるなどしている。明治になったとき、住職の祖父江聖善が従軍僧となり、日清、日露戦役の戦死者の追善に尽力したため、皇族の台臨をいただくことが多くなる。そのため、第四師団の将兵や遺族の参拝も多かった。





2012年3月2日金曜日

3月

昨日から3月になりましたね。昨年写真を撮影しに行ったのにまだ投稿してない内容があるのでまた楽しみにしていてくださいね。