2021年11月14日日曜日

光明寺

 永正14年(1517)に蓮如上人の直弟子の蓮師が建立したと伝わっています。親の仇を討った後に無常を悟って仏門に入ったという菅公一門の末裔・菅九郎左衛門が2代目住職を継承したので「九郎左衛門道場」といわれ、その後、無碍光山光明寺となりました。境内に義人・松野登十郎の墓があります。安永6年(1777)江戸に生まれた松野登十郎は父祖代々、田安家に仕えていましたが、文政3年(1820)、南長柄の田安家領地代官を命じられました。ところが翌年、南長柄一帯が大飢饉となり、農民の苦境を見かねた登十郎は、田安家に使者を送って年貢の軽減を願い出ます。しかし田安家からは拒絶され、登十郎は上申書を残して代官屋敷で割腹しました。享年48歳でしたが、「死に臨みて容儀端厳、一糸一毫たりとも乱れず」と古書に記載されています。その後、松野家は取潰しになりますが、年貢は3年間免除され、領民は救済されました。

所在地:大阪府大阪市北区長柄西2-12-5









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