2013年9月28日土曜日

願得寺

願得寺は、大阪府門真市御堂町にある真宗大谷派の仏教寺院。山号は光明山。本尊は阿弥陀如来。
○沿革
もともとこの地には本願寺第8世法主蓮如が文明10年(1478年)真宗念仏布教の道場として「古橋御坊」が建てられたのが始まりと言われている。明応元年(1492年)に再建、護持された。永正5年(1513年)に加賀国の「石川郡剣村清澤の坊に実悟住す(中略)実悟住持、清澤願得寺と号す」とある。この実悟とは蓮如の第23子、第10男で、清澤願得寺とは現在の石川県白山市鶴来町にあった蓮如の7男蓮悟が創建した寺である。その後享禄の錯乱で清澤願得寺も焼失し、永禄年間(1558年 - 1570年)に、実悟はこの地にあった「古橋御坊」を第10世法主証如より譲られ、寺号を「願得寺」とし開基となった。天正5年(1577年)、正親町天皇より勅許院家となり、それ以来願得寺は「一家衆」として、安土桃山時代、江戸時代、明治時代初期までは中本山格、その後は五箇寺として、この地域の東本願寺の中心的な位置づけであったようである。尚「五箇寺」とは、真宗の伝承すべく家に定められた名目で、場合によっては御門主の代わりに式導師を務める役割だったが、旧弊除去を目指す教団改革で、特権制度の名残であるとして廃止された。
○実悟僧都
この寺の開基実悟は、明応元年(1492年)生まれで、父は蓮如、母は畠山政栄の娘蓮能尼で、幼少の時に加賀本泉寺住持蓮悟の養子となったようで、22歳の時に清澤願得寺に移り住むことになる。その後、享禄の錯乱で清澤願得寺も焼失すると、しばらくの間は放浪していたようであるが、古橋の地に願得寺を復興させた。かなりの知識人だったようで、文才があり主な代表作として
日野一流系図
蓮如上人御一代書
本願寺作法之次第
等これ以外にも数多くの著書があった。天正11年(1583年)92歳の時に願得寺で没した。蓮如上人の27人の子供の中でも最も長寿であった。
○建築物
・国の登録有形文化財
客間-明治期の建築。切妻造桟瓦葺き。
書院-江戸時代末期の書院造り建築。入母屋造桟瓦葺きで四周に庇をめぐらす。昭和60年の屋根瓦の葺き替えで文化11年(1814年)と記された鬼瓦が見つかる。
玄関-宝暦2年(1752年)頃の建築。唐破風造。
太鼓楼-敷地東側を区切る南北に長い建物。北端に重層入母屋造の楼があり、南側に門口を開ける。
・大阪府指定有形文化財
本堂
入母屋造、桁行11間、梁間10間。寛文5年(1665年)に再建成就との記録あり。
鐘楼
寛永時代(1624 - 1644年)の建立。梵鐘に元禄4年(1691年)の銘がある。
山門
四脚門。元禄6年(1693年)の建立。
・その他
庫裏は阪神大震災で被災、全面改築されている。かつて正門として伏見桃山城の楼門が移築されたが倒壊してしまった。倒壊した門の遺物として菊紋の瓦などが保存されている。
○交通アクセス
電車でのアクセス
京阪本線 大和田駅から西へ徒歩約7分、もしくは京阪バスで 願得寺前下車
京阪本線 古川橋駅から東へ徒歩約7分
車でのアクセス
府道158号守口門真線 古川橋付近
※周辺に駐車場無し
○所在地
大阪府門真市御堂町

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