2012年8月2日木曜日

紀州街道

紀州街道とは、かつて大坂と和歌山とを結んでいた街道。
○概要
かつて摂津国では「住吉模様」という語が風光明媚な土地をあらわす代名詞だった。その美しい海に面した住吉大社の社前を通り、古代には「岸の辺の道」と呼ばれたのが、古くは住吉街道としても知られた紀州街道である。近世になると住吉大社の夏祭りの時の神輿の巡行路となっている。和泉国では並行して走る熊野街道よりも大阪湾沿いの浜街道(孝子越街道)を通っていた。1701年(元禄14年)以降は、徳川家紀州藩主の参勤交代や御上使通行の道でもあった。街道筋が海に近く海上交通と競合しやすい環境にあったので、経済活動が活発化した近世以降も急激な通行量の増加はなく、主要な脇往還でもなかった。泉大津市助松町には、紀州藩主の参勤交代の際の休憩所として使用された庄屋・田中覚右衛門の屋敷が今も残り、田中本陣と呼ばれている。
・ルート1(孝子越街道)
大坂城下高麗橋または日本橋(大阪市中央区) - 今宮村(大阪市浪速区) - 天下茶屋(大阪市西成区) - 住吉村(大阪市住吉区) - 安立町(大阪市住之江区) - 堺大道筋(堺市堺区) - 高石北村(高石市) - 下条大津村(泉大津市) - 岸和田城下(岸和田市) - 貝塚寺内(貝塚市) - 鶴原村(泉佐野市)[熊野街道と分岐] - 佐野村(泉佐野市) - 尾崎村(阪南市) - 深日村(岬町)[大川峠越と分岐] - 孝子村(岬町) - 孝子峠 - 和歌山城下(和歌山市)
・ルート2(熊野街道)
鶴原村(泉佐野市)[本道と分岐] - 信達宿(泉南市) - 山中宿(阪南市) - 雄ノ山峠 - 川辺村(和歌山市) - 和歌山城下(和歌山市)
・ルート3(大川峠越)
深日村(岬町)[本道と分岐] - 谷川村(岬町) - 大川峠 - 加太浦(和歌山市) - 和歌山城下(和歌山市)

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