2012年4月10日火曜日

真宗大谷派難波別院

真宗大谷派難波別院は、大阪府大阪市中央区にある真宗大谷派の寺院。同派の別院。本尊は阿弥陀如来。通称は、「南御堂」。同派の大阪教区教務所、教化センター会館を併設する。大阪市内の中心を南北に走る御堂筋の名は、「南御堂」と「北御堂」(浄土真宗本願寺派の本願寺津村別院)とを繋ぐ道であることに由来する。
○概要
天正11年(1583年)、石山本願寺跡地を含む一帯に豊臣秀吉によって大坂城が築城する。城下町の町制と整備とに着手。
文禄4年(1595年)、秀吉より寺地を寄進され、東本願寺十二代 教如が「大坂渡辺の地」に大谷本願寺を開創する。
文禄5年(1596年)、「大谷本願寺 文禄丙申五暦」銘の梵鐘を鋳造(現存)。
慶長2年〈1597年〉に、「准如を十二代法主とする本願寺教団(現、浄土真宗本願寺派)」の津村御坊(現在の本願寺津村別院〈北御堂〉)が建立される。
慶長3年(1598年)、大坂城の城下町の拡大により、大谷本願寺が現在地への移転を秀吉より命じられる。
慶長7年(1602年)、後陽成天皇の勅許を背景に徳川家康から京都烏丸六条に寺地を寄進され、東本願寺が分立し寺基を移すまで、当寺は、教如を十二代法主とする本願寺教団(現在の真宗大谷派)の実質上の本山であった。京都に東本願寺が建立後は、大坂の大谷本願寺の地を「難波御堂」とし、大坂における教如の本願寺教団の拠点寺院として、商人をはじめとする同地の門徒の篤い崇敬を集めるとともに、「南御堂」、「難波の御堂」と称されて、広く人々に親しまれ現在に至っている。
正徳4年(1714年)、幕府から旧大坂城の外堀の石垣の寄進を得て、淀川の砂を用いて大規模な地盛りをし、二重屋根の壮大な本堂を建立する。
京都の本山東本願寺(真宗本廟)の現在の御影堂が、明治時代に再建されるに際し、「難波御堂」を模したとされる)が威容を誇っていた。
昭和20年(1945年)3月、戦災で焼失する。
昭和33年(1958年)、焼失した本堂の再建と山門を兼ねた「御堂会館」の建設が決まる。
昭和34年(1959年)、「復興起工式」を執行する。
昭和36年(1961年)、鉄筋コンクリート製の本堂と「御堂会館」が完成する。落慶法要を厳修する。本堂は、規模は縮小したものの、建築様式に往時の姿を留めている。「御堂会館」は、ビジネス・文化活動等の会場として広く一般の利用にも供されている。
昭和38年(1963年)、「教如三百五十回御忌法要」を厳修する。
昭和39年(1964年)、本堂地下に御堂会館・研修ホールが完成する。
昭和44年(1969年)、御堂会館・南館を増築する。
平成10年(1998年)、「蓮如上人五百回御遠忌法要」を厳修する。
○文化財
梵鐘(「大谷本願寺 文禄丙申五暦」銘)
○アクセス
地下鉄
大阪市営地下鉄御堂筋線 本町駅下車 8号出口より南へ200m
大阪市営地下鉄中央線 本町駅下車 13号出口より南へ50m




○所在地
大阪府大阪市中央区久太郎町4-1-11

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