寛永3(1626)年、大坂城代となった武蔵国岡部藩(のち三河国半原藩)の阿部備中守正次が摂津国内に三万石の領地を新たに獲得し、この陣屋を設置(領地は摂津国の豊嶋郡、能勢郡、川辺郡、有馬郡に散在していたらしい)。正保4(1647)年に正次が病死すると、正次の子・重次が跡を継いだが、関東へ移された。その後、慶安3(1650)年10月に大坂城京橋口定番となった安部摂津守信盛がこの陣屋を支配。13代続いて明治維新を迎えた。慶応4(1868)年4月、最後の領主・安部信発はその居所を武蔵岡部から三河半原に移し、明治維新を迎えて半原藩知事となったためにこの陣屋は半原藩出張所と呼称された。しかし、程なく破却された。現在、遺構は無い。
余談だが安政4年(1857年)、飛地陣屋であるこの桜井谷陣屋の役人の不正が発端となり、抜本的な財政改革を要求する騒動が発生した。近隣の麻田藩では大坂商人で西本願寺家臣の石田敬起(大根屋小右衛門)による改革で藩札は農民側の管理に委ねられて適切に運用されていたため、それに倣った改革が領民から要求された。その結果、藩札は大坂の両替商の関与を断たれ、桜井谷陣屋の米奉行が発行し、豊嶋郡の領内有力農民が銀穀方として運用する形態が幕末まで続いた。
所在地:豊中市春日町1丁目4番地(周辺)
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