2012年3月9日金曜日

将軍塚古墳

平安中期の頃から、藤原鎌足候の墓所は、初め「摂津の安威にあったが、後に大和多武峰に改葬された」との説があり、それが江戸時代になってこの塚をあてるようになった。そのために鳥居(大織冠神社の鳥居のこと)を立て、石碑を作り石室内に祠をつくって崇拝し、毎年10月16日には、京都の駆除受けから支社が来て、反物二千匹を持参してお祭りをされてていた。考古学上からは、山頂を利用して造られた円墳で、南向きの横穴式石室を有する物である。石室は、羨道が玄室の片方によったいわゆる片袖式のもので、丸みのある花崗岩を積み上げている。玄室の長さは4.5m、幅1.71m、高さ2.4mで、5枚の天井石がのせられている。作られた時期は古墳時代後期(6世紀後半)の頃であるが、早くから開港されたので副葬品については何も分かっていない。
所在地:大阪府茨木市東福井2丁目



0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。