旧芥川宿と芥川1里塚は西国街道にある史跡である。
この宿は12世紀頃すでに成立していたが本格的に整備されたのは江戸時代に入ってからである(17世紀はじめ)。参勤交代のための本陣や伝馬(公用の荷馬)、旅籠等が置かれ、享保19年(1734)に描かれた芥川宿絵図では、整然とした家並みや寺院、東に1里塚も見える。
19世紀前半、(天保期)には、旅籠33軒、家数も253を数え大いに賑わい、幕末の文久3年(1863)8月には、政変に敗れて長州に逃れる途中の三条実美ら7卿も、この芥川宿に泊まっている。
しかし、時の流れと共に宿場町の面影は姿を消し、わずかに残る格子窓の家に往時がしのばれる。街道の両側にあった1里塚も東側だけが残り、昭和16年(1941)に5月、府の史跡に指定されている。
所在地:高槻市芥川3丁目
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。