緒方洪庵が開いた適塾のすぐ裏辺りに「銅座の跡」の石碑があることをご存知でしょうか。
江戸時代銅は金や銀と同じくらい日本にとっては重要な輸出品であった。1766年に設置された銅座の役割は、まず銅山からの荒銅を当所で買い上げ当時大阪で技術を競っていた銅吹仲間に精錬させ、それを集荷して海路長崎へ輸出される物であった。国内で使用される銅はこの輸出品の残りで、銅の密売を防ぐ目的で古銅類買上の精細な規定が作られ、銅器の破片にいたるまで銅座が管理した。
江戸時代、オランダ商館長一行が江戸に行く際に銅座に宿泊、住友銅吹所をたずねるのが慣例になっていたらしいです。
所在地:大阪市中央区今橋3丁目(愛珠幼稚園前)
地下鉄御堂筋線・京阪電鉄「淀屋橋」下車東約200M
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