昭和31年3月に甲円部が発掘調査されたが、その後、宅地造成のために破壊されることになり、昭和39年4月に再び全封土にわたって調査されて、全く姿を消した。この古墳はもと、山丘の頂上を利用した全長およそ107m、前方部端の幅44mの古墳時代前期(4世紀代)の前方後円墳であった。3段に気付かれた封土の周囲を葺石で覆い、円筒は庭を並べ、後円部中央には、この付近に産しない結晶片岩を用いて竪穴式石室を作っていた。石室には12枚の天井石がのせられ、U字型の粘土棺床が造られていた。この石室を移築したのが現在のこの石室である。実際の石材を用いて、元通り竪穴式石室を造ってあるので、その構造を知る上に参考になる物である。早く盗掘にあったので、副葬品は硬玉製勾玉、ガラス製小玉、銅鏃、鉄鏃、鉄剣のみであった。
所在地:大阪府茨木市東福井2丁目
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