2012年3月7日水曜日

住吉大社

住吉大社は、大阪府大阪市住吉区住吉にある神社である。式内社(名神大社)、二十二社、摂津国一宮で、旧社格は官幣大社(現神社本庁の別表神社)。地元では「すみよしさん」あるいは「すみよっさん」と呼ばれ、また毎年初詣の参拝者の多さでも全国的に有名である。海の神である住吉三神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)と息長足姫命(神功皇后)を祀り、「住吉大神」と総称される。住吉大神宮(すみよしのおおがみのみや)ともいい、当社で授与される神札には「住吉大神宮」と書かれている。大阪の住吉大社、下関の住吉神社、博多の住吉神社、の三社が日本三大住吉とされる。
○祭神
奥から第一・第二・第三本宮が縦(東西)に並び、第三本宮の右に第四本宮がある。
第一本宮(底筒男命:そこつつのをのみこと)
第二本宮(中筒男命:なかつつのをのみこと)
第三本宮(表筒男命:うはつつのをのみこと)
第四本宮(息長足姫命:おきながたらしひめのみこと)= 神功皇后(じんぐうこうごう)
○歴史
・住吉神と神功皇后
仲哀天皇9年(200年)、神功皇后が三韓征伐より七道の浜(現在の大阪府堺市堺区七道、南海本線七道駅一帯)に帰還した時、神功皇后への神託により天火明命の流れを汲む一族で摂津国住吉郡の豪族の田裳見宿禰が、住吉三神を祀ったのに始まる。その後、神功皇后も祭られる。応神天皇の頃からの大社の歴代宮司の津守氏は、田裳見宿禰の子の津守豊吾団(つもりのとよあだ、つもりのとよのごだん)を祖とする。
・大和王権の外交神とシルクロード
古代大和王権の外交・航海に関連した神社で、遣隋使、遣唐使の守護神で、津守氏は遣唐神主として遣唐使船に乗船した。遣隋使、遣唐使は、大社南部の細江川(通称・細井川。古代の住吉の細江)にあった仁徳天皇が開いたとされる住吉津(「墨江ノ津」「住之江津」すみのえのつ)から出発する。住吉津は、上代( 奈良時代・平安時代 初期)は、シルクロード[1] につながる主な国際港でもあった。また八幡神である応神天皇の母の神功皇后を加えた住吉大神は、八幡神の祖神とされ、河内王朝の守護神とされる。また八幡神が陸の軍神であるのに対して住吉神は海の軍神ともされる。さらに後年は和歌の神(和歌三神の一つ)になる。延喜式神名帳には「住吉坐神社 四座」と記載され、名神大社に列し、月次・新嘗・相嘗の幣帛に預ると記されている。神階は、嘉祥4年(851年)に最高位の正一位となった。
・『源氏物語』の舞台
社前は今は完全な市中だが、江戸時代までは境内馬場(現在の住吉公園)は海に面し、白砂青松の風光明媚の代表地とされ、その風景の絵模様は「住吉模様」と呼ばれた。また紫式部『源氏物語』には明石の君に関連した重要な舞台として描かれている。また『一寸法師』は子宝に恵まれなかった初老の夫婦が住吉大社に参り、子供を出産し、その子供が住吉津から細江川を下って大阪湾に出、淀川をのぼり、京都へ向う話である。
・武家源氏と元寇の浜祈祷
清和源氏武士団を最初に形成した源満仲は、摂津守であった天禄元年(970年)に住吉大社に参籠し、住吉大神の神託により摂津国多田(兵庫県川西市多田)を源氏の本拠地としている。宮司の津守氏は神官であると共に一族は武士も輩出しており、源満仲の三男で河内国壺井(大阪府羽曳野市壺井)を本拠地とした源頼信を祖とする河内源氏とは源為義の頃には婚族の関係にあった。河内源氏の後裔で鎌倉幕府を開いた源頼朝が建久6年(1195年)3月の上洛の際、住吉大社に多数の御家人を集め流鏑馬を行っている。元寇の際は、社前の住吉の浜(住之江の浜)において海神の住吉大神に蒙古撃退の「浜祈祷」が行われた。鎌倉時代末期には幕府の公認で住吉社造営費用獲得のため、元へ交易船が派遣された(寺社造営料唐船)が、帰国時には幕府は滅亡しており、後醍醐天皇の綸旨をもって住吉社造営費にあてられている。
・南朝の御座所(住吉行宮)
南北朝時代は、宮司の津守氏の館の住之江殿(正印殿)に南朝の後村上天皇の行宮が置かれ、約十年間南朝方の御座所となり、南朝の主要拠点の一つになる。次の長慶天皇は住吉で即位。また瀬戸内海の水軍系武士には住吉神を奉じる者も多く、南朝方の瀬戸内連絡網の根拠となった。
・室町時代
南朝方であったことから足利時代は、幕府からの制圧を受け、社領も大幅に削減され、現在の境内地と馬場(現:住吉公園)の規模とされる。
○祭事
卯之葉神事
御田植神事
神輿洗神事(住吉祭の神事始め)
住吉祭(夏越祓神事、神輿渡御祭、荒和大祓神事) -- 例祭。7月海の日 - 8月1日
松苗神事
宝之市神事
初辰まいり
白馬神事
御結鎮神事
踏歌神事
観月祭
埴使
○摂社・末社
・摂社
大海神社(式内社。豊玉彦命・豊玉姫命)
若宮八幡宮(応神天皇・武内宿禰)
志賀神社(底津少童命・中津少童命・表津少童命)
船玉神社(式内社。天鳥船命・猿田彦神)
 境内末社 [編集]楯社(たてしゃ。武甕槌命)
鉾社(経津主命)
侍者社(おもとしゃ。田裳見宿祢・市姫命)
后土社(ごどしゃ。土御祖神)
楠?社(なんくんしゃ。宇迦魂命))
市戎社(事代主命)
大國社(大國主命)
種貸社(たねかししゃ。式内社。倉稲魂命)
子安社(興台産霊神)
海士子社(鵜茅葺不合尊)
龍社(水波野女神)
八所社(素盞鳴尊)
新宮社(伊邪那美命・事解男命・速玉男命)
立聞社(天児屋根命)
貴船社(高おかみ神)
星宮(國常立命)
五社(大領、板屋、狛、津、高木、大宅、神奴祖神)
薄墨社(國基霊神)
斯主社(このぬししゃ。國盛霊神)
今主社(國助霊神)
招魂社(諸霊神)
・境外末社
大歳社(おおとししゃ。大年神)
淺澤神社(あさざわじんじゃ。市杵島姫命)
港住吉神社(底筒男命・中筒男命・表筒男命・神功皇后)
波除住吉神社(底筒男命・中筒男命・表筒男命・息長足姫命)
・その他
おいとしぼし社
お愛し星(おいとしほし)、老年星(おいとしほし)ともいう。由来は謎につつまれており、金龍または龍神とも、隕石を願い事の守護神として祭り始めたものとも云われている。
楠高社
海龍社
御滝社
姫松稲荷社
吉松稲荷社
結乃神社
神馬塚
神宮遥拝所
・その他施設
吉祥殿
住吉武道館
卯の花苑
住吉文華館
御文庫
神馬舎
五所御前
神館
斎館
五月殿
○名所・旧跡
・反橋(太鼓橋)
慶長年間に淀殿が寄進。朱色の優美なシルエットが美しい。
・国指定史跡「住吉行宮跡」
住吉大社宮司の津守氏の住之江殿(正印殿)にあり、南北朝時代の後醍醐天皇の子の後村上天皇の約10年間の御座所(行宮)であり、次の長慶天皇はここで即位。
・石舞台
卯の葉神事の時に優美な雅楽が演じられる住吉大社の石舞台は日本三舞台の一つ。他の舞台は、四天王寺の石舞台、厳島神社の平舞台。また雅楽が演奏される回廊は豊臣秀頼の寄進。
・誕生石
薩摩藩祖の島津忠久の誕生したといわれる場所。
・浜祈祷の碑
元寇の時にモンゴル撃退の浜祈祷を住吉の浜でしたことを伝える碑。
・宿院頓宮
大阪府堺市堺区にある、住吉大社と大鳥大社の御旅所。8月1日に住吉大社から神輿の渡御が行われ、境内にある飯匙堀で「荒和大祓神事」が行われる。
・住吉高燈籠
現存する日本最古の灯台で1794年以前の鎌倉時代創建とされる。1950年のジェーン台風で木造の上部が破壊された。現在の高燈籠は、石垣の基壇を移動し鉄筋コンクリート造で復元したもので、住吉公園近くの国道26号線に面したところにある。燈籠内部は資料館となっている。燈籠に登ることもできる。
○文化財
・国宝
住吉大社本殿 4棟(第一殿より第四殿)
・重要文化財
住吉大社
幣殿及び渡殿 4棟
南門
東楽所
西楽所
石舞台
南高蔵
北高蔵
摂社大海神社幣殿及び渡殿
摂社大海神社西門
末社招魂社本殿(旧護摩堂)
住吉大社摂社大海神社本殿
木造舞楽面 9面
太刀 銘守家
刀 銘小野繁慶 奉納接州住吉大明神御宝前
住吉大社神代記
・史跡
住吉行宮跡
・重要無形民俗文化財
住吉の御田植(御田植神事保存会)
・選択無形民俗文化財
住吉の御田植神事の芸能(御田植神事保存会)
○所在地
大阪府大阪市住吉区住吉2-9-89
○例祭
7月31日(住吉祭)
○主な神
踏歌神事(1月4日)
正印殿祭(4月6日)
卯之葉神事(5月初卯日)
御田植神事(6月14日)










































0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。