古曽部窯は、江戸時代後期から明治時代末にかけて、古曽部町の五十嵐家4代の陶工が営んだ、いわゆる地方窯(ちほうよう)です。製品は古曽部焼として庶民はもとより、茶人や文人にも愛されました。ここで焼かれたのは、主として日用の雑器(飯茶碗・小皿・湯のみ・鍋など)でしたが、その合間には抹茶碗・水指・菓子鉢・香合・茶托などの茶器や、花瓶なども焼かれていました。荒々しく力強い初代、民芸的な2代など、作風は全体にひなびた味わいがあり、とくに茶器は京阪の文人に愛されました。料亭などの大量注文に応じて焼かれることも多く、それが古曽部焼の生産拡大や普及につながっていきました。窯跡近くで行われた発掘調査では、陶片や窯入れに使う窯道具が多量に出土しています。
所在地:大阪府高槻市古曽部町三丁目
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