2024年5月6日月曜日

圓頓寺

 圓頓寺は、大阪府大阪市北区太融寺町に位置する日蓮本宗の寺院である。山号は松景山。本尊は十界曼荼羅。

〇歴史

元々は天台宗に属し西成郡木寺村(現在の淀川区木川)にあり、日蓮が天王寺に参る途中に草鞋の紐を解かれた場所として知られていた。1738年(元文3年)に寺域が中津川(現在の新淀川)の洪水敷にかかり、また衰微していた日蓮上人の旧跡を再興すべく、現在地へ移転した。その後、1764年(明和元年)に要法寺の末寺となった。また圓頓寺のある旧北野村はかつては湿地帯で、圓頓寺も北野の萩の寺として有名であった。上方落語「鷺とり」の舞台としても知られており、ぐっすり寝込んだ鷺を捕まえて帯にはさんでいると夜が明けて鷺が飛び立ち、主人公が天王寺の五重塔の上に置き去りにされるという内容の落語である。

〇交通

Osaka Metro谷町線「中崎町駅」より徒歩で約10分。

〇所在地

大阪府大阪市北区太融寺町6-12



圓通院

 圓通院は、大阪府大阪市北区兎我野町に位置する曹洞宗の寺院である。山号は補陀落山。本尊は如意輪観音。

〇歴史

1616年(元和2年)に創建。1834年(天保5年)、堂島新地の大火により堂宇を焼失、その後、再建する。圓通院の墓所には赤穂事件で有名な大石良雄の父である大石良昭と大石信清の父である大石信澄の墓がある。他にも大阪に川柳を広めた堂松鱸や儒学者の奥野小山の墓もある。また、墓地には延命地蔵尊が安置されている。大坂三十三観音めぐりの第三番札所である北神明の石碑は当寺の門前に移されている。

〇圓通院墓所

圓通院には、以下の人物が葬られている。

大石良昭-武士。赤穂事件で有名な大石良雄の父。

大石信澄-武士。赤穂事件で有名な大石信清の父。

奥野小山-儒学者。篠崎小竹の四天王のひとり。

堂松鱸-詩人。大阪に川柳を広め定着された人物として知られる。

〇所在地

大阪府大阪市北区兎我野町7-8



蓮華寺

 蓮華寺は、大阪府大阪市北区太融寺町にある日蓮実宗の寺院。山号は仏生山。

〇歴史

1770年(明和7年)10月1日に妙光阿生蓮院日命が自明院を相続し法華宗に改宗、翌年に大石寺の末寺となる。開基は大石寺第33世法主日元。1911年(明治44年)2月20日に火災で焼失し1913年(大正2年)4月28日に復興。1927年(昭和2年)4月21日、後の大石寺第62世日恭が住職となり、1937年に登座するまで務める。1945年(昭和20年)6月1日、戦災で焼失。1964年(昭和39年)5月13日、18代住職が創価学会の過度な干渉と介入と日蓮正宗側の学会への融和的な姿勢に反発し、日蓮正宗を離脱し日蓮実宗を創設。

〇交通

Osaka Metro堺筋線・谷町線「中崎町駅」より徒歩で約10分。

〇所在地

大阪府大阪市北区太融寺町1-41



龍渕寺

 龍渕寺は、大阪府大阪市北区兎我野町に位置する浄土宗の寺院である。山号は松濤山。本尊は阿弥陀如来。

〇歴史

1614年(慶長19年)、傳誉によって開基。1834年(天保5年)、堂島新地の大火で焼失し、1858年(安政5年)に再建した。西福寺と同じく兎我野町の東端であり、西寺町通りに面した寺院である。 

〇交通

Osaka Metro谷町線「東梅田駅」より徒歩で約10分。

〇所在地

大阪府大阪市北区兎我野町1-3



龍興寺

 龍興寺は、大阪府大阪市北区兎我野町に位置する浄土宗の寺院である。山号は法雲山。本尊は阿弥陀如来。

〇歴史

1732年(享保17年)に智傳のよって創建。1779年(安永8年)に可円が再興し、1804年(文化元年)には真阿他が再建した。1919年(大正8年)に子供会が開設され、現在は総合保育施設「きたの旭ヶ丘学園」を運営している。

〇交通

Osaka Metro谷町線「東梅田駅」より徒歩で約10分。

〇所在地

大阪府大阪市北区兎我野町3-10



夕願寺

 夕願寺は、大阪府大阪市北区野崎町に位置する法華宗陣門流の寺院である。山号は護国山。本尊は三宝尊。

〇歴史

創建年は不詳。本禅寺の日珖によって創建された。1536年(天文5年)、西成郡新家村より現在地へ移転。しかし1834年(天保5年)の堂島新地の大火で焼失し、1861年(文久元年)に本堂を再建。付近にある冷雲院と同じく、1922年(大正11年)に刊行の『大阪府全誌』に「字アドエにあり」と書かれており、安曇江荘の推定地の一つとされている。 

〇交通

JR「天満駅」より徒歩で約10分。

〇所在地

大阪府大阪市北区野崎町3-4




祐泉寺

 祐泉寺は、大阪府大阪市北区天満に位置する真宗大谷派の寺院である。山号は川勝山。本尊は阿弥陀如来。

〇歴史

1498年(明応7年)に中央区玉造に創建されたと伝えられ、1635年(寛永12年)に現在地に移転した。その後、1837年(天保8年)には大塩平八郎の乱で焼失し、再建後は第二次世界大戦での空襲も避けて残った。

〇交通

Osaka Metro谷町線「天満橋駅」より徒歩で約5分。

JR「大阪天満宮駅」より徒歩で約10分。

〇所在地

大阪府大阪市北区天満1丁目1-9




妙香院

 妙香院は、大阪府大阪市北区兎我野町に位置する浄土宗の寺院である。山号は清風山。本尊は阿弥陀如来。

〇歴史

1617年(元和3年)6月3日、念蓮社専誉上人によって創建された。1834年(天保5年)、堂島新地の大火により堂宇を焼失し、その後、1846年(弘化3年)に檀家の協力を得て再建。妙香院の木造兜跋毘沙門天像は国と大阪市の重要文化財にそれぞれ指定されており、北大阪七福神の札所としても知られている。 

〇交通

Osaka Metro谷町線「東梅田駅」より徒歩で約10分。

〇所在地

大阪府大阪市北区兎我野町7-6



法界寺

 法界寺は、大阪府大阪市北区兎我野町に位置する浄土宗の寺院である。山号は回向山。本尊は阿弥陀如来。

〇歴史

1593年(文禄元年)に欣西により開基。知恩院の末寺。1814年(文化10年)の堂島中町の火災、1834年(天保5年)の堂島新地の大火により焼失し、1843年(天保14年)に再建。現在の堂宇は1964年(昭和39年)5月に復興されたものである[2]。また2005年(平成17年)より当寺の服部法丸台下が浄土宗大本山の京都知恩寺の第74世法主に就任した。近松門左衛門の『曽根崎心中』の中に登場する「三十三ヶ所観音巡り」の一節に「あだのりんきや法界寺」と詠まれており、俗に他人の恋をうらやみ、妬む事を意味する「法界悋気」(ほうかいりんき)の語源がこの法界寺の寺号とされている。

〇交通

Osaka Metro谷町線「東梅田駅」より徒歩で約5分。

〇所在地

大阪府大阪市北区兎我野町15-2





日本基督教団扇町教会

 日本基督教団扇町教会は、大阪府大阪市北区神山町にある日本基督教団に所属するメソジスト系の教会である。

〇沿革

1910年(明治43年)9月18日-中路嶋雄によって大阪同胞教会が設立。

1937年(昭和12年)-教会付属の園として扇町同胞幼稚園が開園。

1980年(昭和55年)-学校法人扇町同胞学園を設立。

〇扇町同胞幼稚園

扇町同胞幼稚園は、日本基督教団扇町教会に併設されている幼稚園で、1937年(昭和12年)に扇町教会の名誉牧師である中路嶋雄によって開校された。1980年(昭和55年)に学校法人扇町同胞学園を設立。

〇交通

Osaka Metro堺筋線「扇町駅」より徒歩で約5分。

阪急電鉄「大阪梅田駅」より徒歩で約10分。

JR「天満駅」より徒歩で約10分。

〇所在地

〒530-0026大阪府大阪市北区神山町9-19

http://ougimachi-ch.world.coocan.jp/


大阪興正寺別院

 大阪興正寺別院は、もともと天満興正寺別院として大坂天満(現在の大阪市北区天満4丁目7滝川公園)にありました。天満興正寺別院跡地にある石碑文には、文永元年(1264)に興正寺第3世源海上人が天満の地に房舎を建立したと伝えています。天正13年(1585)、興正寺第17世顕尊上人は本願寺とともに和泉貝塚から天満の地へ移り住みます。興正寺の本堂は天正14年(1586)8月19日に棟上げされました。天正19年(1591)、興正寺は豊臣秀吉の命により京都堀川七条の地に本願寺とともに寺基を移転することになりますが、天満御坊は大阪における真宗布教の法城となっていきました。天保8年(1837)、大塩平八郎の乱で山内が類焼してしまいますが、興正寺第27世本寂上人はすぐさま仮御堂を造立し、天保10年(1839)には対面所、安政3年(1856)には本堂を再建しました。明治13年(1880)、天満御坊は興正寺天満別院となりますが、昭和20年(1945)の大阪空襲で山内すべてが焼失してしまいます。その後、天満別院は、昭和40年(1965)に大阪興正寺別院と名称を変更して大阪市旭区赤川町に再建され、昭和63年(1988)に現在地である高槻市奈佐原に移転して今日に至っています。

跡地:大阪府大阪市北区天満4丁目7滝川公園

所在地:〒569-1041大阪府高槻市奈佐原340




善徳寺

 善徳寺は、大阪府大阪市北区中崎西に位置する日蓮宗の寺院である。山号は法秀山。本尊は阿弥陀如来。

〇歴史

1629年(寛永6年)に創建。山号は法秀山で阿弥陀如来を本尊とする。その後、災害に見舞われたものの1994年(平成6年)までに再建された。現在は法要施設や多目的ホールを併設している。

〇交通

Osaka Metro谷町線「中崎町駅」より徒歩で約1分。

〇所在地

大阪府大阪市北区中崎西1-2-7




西福寺

 西福寺は、大阪府大阪市北区兎我野町に位置する浄土宗の寺院である。山号は易往山。本尊は阿弥陀如来。

〇歴史

1612年(慶長17年)、幡随意の弟子である魯念によって開基。幡随意は徳川家康の命により九州のキリシタン改宗を指導し、同年2月下旬に大坂に帰り、旧知の家に宿泊していたところ、魯念にこの大阪の地で寺を建立するように申し渡したとされる。また江戸時代の俳人である西山宗因の墓所としても知られいるほか、江戸時代後期の大阪画壇で活躍した森周峰、森狙仙兄弟、親族の森徹山、森一鳳の墓もある。

〇墓所

西山宗因-俳人

森周峰-絵師

森狙仙-絵師

森徹山-絵師

森一鳳-絵師

〇交通

Osaka Metro谷町線「東梅田駅」より徒歩で約10分。

〇所在地

大阪府大阪市北区兎我野町2-3




西善寺

 西善寺は、大阪府大阪市北区芝田に位置する浄土真宗本願寺派の寺院である。山号は扶桑山。本尊は阿弥陀如来。

〇歴史

1634年(寛永11年)に准如の弟子である了善によって現在の北区南森町に開基。その後、火災により消失し、1856年(安政2年)に再建するも、1909年(明治42年)7月31日の北の大火で焼失し、1913年(大正2年)12月22日に現在地に移転した。

〇交通

JR「大阪駅」より徒歩で約5分。

〇所在地

大阪府大阪市北区芝田2-2-28




清風寺

 清風寺は、大阪府大阪市北区大淀南に位置する本門佛立宗の寺院である。山号は日英山。本尊は曼荼羅本尊。「ほんもんさん」の愛称で知られる。

〇歴史

1889年(明治22年)に日聞上人によって「大阪大歓組」が結成され創建。その後、1913年(大正2年)に現在の清風寺となり、教養会を次々と創立して現在に至っている。1945年(昭和20年)には大阪大空襲で焼失し、1947年(昭和22年)に再建した。清風寺は西日本に70ヶ寺以上の門末寺院を擁する大本寺であり、地域の人からは「ほんもんさん」の愛称で親しまれている。また寝屋川市に清風寺寝屋川霊園を設置しているほか、大阪市旭区・豊中市・生駒市の3か所に別院が存在する。

〇別院

清現寺(旭別院)

良風寺(豊中別院)

生駒別院

〇所在地

大阪府大阪市北区大淀南2丁目5-5

https://seifuji.org/







正宣寺

 正宣寺は、大阪府大阪市北区中崎西に位置する浄土真宗本願寺派の寺院である。山号は光寿山。本尊は阿弥陀如来。

〇歴史

1940年(昭和15年)に創建。創建当初は万歳町に位置する「北野布教所」であったが、1945年(昭和20年)に戦災のため現在地に移転し、1988年(昭和63年)に正宣寺として再建した。

〇交通

Osaka Metro谷町線「中崎町駅」より徒歩で約3分。

阪急電鉄神戸本線・宝塚本線・京都本線「大阪梅田駅」より徒歩で約9分。

〇所在地

大阪府大阪市北区中崎西1丁目6-23

https://www.shosenji.or.jp/




真宗大谷派天満別院

 天満別院は、大阪府大阪市北区東天満に位置する真宗大谷派の寺院である。東本願寺の別院。本尊は阿弥陀如来。「佛照寺さん」の愛称で親しまれている。

〇歴史

1601年(慶長6年)に真宗大谷派の第12代門主である教如上人によって現在の天満別院が現在地に開基された。教如上人に従って信任の厚かった佛照寺祐恵にちなんで「佛照寺さん」の愛称で親しまれている。1608年(慶長13年)に現在地に移設。1909年(明治42年)に発生した北の大火では、出火元に近かったものの焼失はまのがれたため、救護所として本堂を解放していた。また1910年(明治43年)に親鸞聖人の650回御遠忌の最、第22世である現如上人の御染筆による「六字城」の額が本堂正面に揚げられた。

〇交通

JR「大阪天満宮駅」より徒歩で約3分。

〇所在地

大阪府大阪市北区東天満1丁目8-26