天正元年(1573)に総持寺の僧・秀雲が創建。儒者・書家の篠崎小竹(1781~1851)の墓があります。小竹は9 歳で篠崎三島の私塾・梅花社に入門。三島に後継がなかったので養子となりました。一時期は頼山陽に感化されて江戸に出奔して朱子学者に転向しますが、その後、三島と和解して梅花社を継承。温厚で社交好きな性格で、梅花社は大坂で最も有名な塾となり、門下生は1500 名を越えたといいます。また学者に似合わず蓄財が巧く、鴻池家に出入りして主人・善右衛門に論語の講釈をするなど、「学者中の鴻池」とも呼ばれました。同寺には篠崎三島や篠崎竹陰(小竹の養子)の墓などもあります。
所在地:大阪府大阪市北区与力町2-1
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