寺伝では行基の開基です。境内に儒学者・五井持軒(1641~1721)の墓があります。持軒は大坂生まれで初めは医業を志しましたが、ある女性患者の診断ミスで自責して儒学に転じました。北鍋屋町で塾を開き、四書(『大学』『中庸』『論語』『孟子』)に打ち込んだので「四書屋加助」と呼ばれました。晩年は下河辺長流(1627~1686)に国学を学んで『校註日本紀』を著しています。また持軒の三男・蘭洲は中井甃庵に招かれて懐徳堂の教授となり、甃庵の子の竹山と履軒は、蘭洲の薫陶を受けて懐徳堂の黎明期を支えました。この知の系譜から持軒は大坂の町人学問の開拓者と言われます。
所在地:大阪府大阪市北区同心1-4-8
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。