山陰街道は、日本の街道である。京から丹波を経て山陰地方へ向かう。山陰道、山陰路、丹波街道、丹州街道、丹波路、丹州路とも呼ばれた。しかし、明治時代に京都府令により「山陰街道」の名称に統一された。現在の国道9号線は、これにほぼ沿っている。なお、古代・中世における山陰道と近世の山陰街道は、ルートが異なっている。
○概要
京の七口の一つとされる丹波口を起点として、樫原を経由し老の坂を越えて丹波国に入り、亀岡、園部、三和を経て福知山に達し、夜久野を経て但馬国へと繋がっている。1876年(明治9年)に、丹波国天田郡と丹後国が豊岡県から編入され、ほぼ現在の形になった京都府内を縦貫する道路整備が課題となる中、1881年(明治14年)に府会は京都・宮津間の縦貫車道の開削を議決した。この事業は、全国で初めて獲得した国庫補助金や沿道住民の金銭面・労力面の支援のもと、1889年(明治22年)に完成し、それまで2泊3日を要した京都・宮津間を15時間で結ぶことが出来るようになった。この京都・宮津間道路の築造に尽力したのは、第3代京都府知事である北垣国道と、工部大学校を卒業した田辺朔郎であり、彼らはこの道路の築造の後、琵琶湖疏水を完成に導いた。ルーツは古代の幹線道路である山陰道であるが、幹線道路が街道と呼ばれるようになった近世においては、古代の山陰道とは異なり京都から福知山城へ向かうルートが取られた。
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