沢内街道は、盛岡藩領内から陸奥国和賀郡沢内村(現 岩手県和賀郡西和賀町)を目的地とする街道の総称。
○概要
「正法年譜住山記」天文八年(1539年)条に「此年沢内の道同菩提坂の路造直す也」とあり、雫石盆地と沢内盆地を結ぶ街道。 秋田街道の雫石から寛文9年まで鶯宿から切留を通り、長橋峠(490m)を越え長橋川沿えに貝沢(沢内村)に入っていたが、その後山伏峠を越える道が開かれた。 現存の岩手県道・秋田県道1号盛岡横手線は沢内街道を基に整備された。また、花巻から岩崎までの道筋を岩崎街道と呼び、その西から湯田を通って沢内に至る道も目的地の地名をとって、沢内街道と呼ばれ、江戸からの諸物資が陸奥街道から花巻-岩崎-煤孫-瀬畑-岩沢-和賀仙人峠-川尻-越中畑-白木峠を超えて山内村(現横手市)へと至り、この街道を経由して秋田側に搬入されたこともあり、秋田領からは南部道と呼ばれていた、奥羽と連絡する繋要路線であった。
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