2015年5月8日金曜日

大阪通商会社・為替会社跡

明治二年8月設立されたが、当時は銀目廃止や新政府御用金の負担、大名貸しの焦げ付きなどで豪商が次々と没落したときであった。そこで政府は商業進行のための為替会社を作らせた。この時は東京・京都その他開港港場など8箇所に設置された。しかし発足しても良い商倍があるわけでもなく、明治6年には営業一切を為替会社に譲渡した。このように短命に終わったが、その他の会社企業の勃興の要因になった。一方、為替会社は通商会社以外の書会社にも貸付を行い、又為替札として金・銀券を発行したがこれに対する信用が創造され広く流通した。明治4年、廃藩置県が断行されるなどの影響で、明治7年には利益を上げることなく横浜以外の為替会社は全て解散した。しかしながら当社は近代的銀行の性格を持ち、両替商から国立銀行(明治6年設立)への橋渡し的役割を果たしたといえる。
所在地:大阪府大阪市北区中ノ島1丁目(中央公会堂南側)


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