2015年5月1日金曜日

大長寺

○寺院・諸堂来歴
慶長10年(1605)10月、毛利輝元(てるもと)の一族佐々木高久が外祖父毛利定春の冥福を祈り下屋敷を寺院として建立したのに始まる。かつての境内は現在の桜宮公園と推測されるが、「定春亭」の一宇があり、秀吉や家康が訪れた記録が残る。明治42年(1909)明治の豪商藤田男爵家の寄進により現在地に移転。山門・本堂・観音堂・藤田殿・庫裏・鐘楼など壮大な伽藍を誇ったが、昭和20年(1945)6月の空襲で一切の堂宇を焼失した。昭和46年(1971)に本堂他を再建。
所在地:大阪市都島区中野町2丁目1番14号





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