近世国学の祖といわれる契沖が、延宝7年(1679)から元禄3年(1690)までの11年間、住職をした寺である。契沖は武家の出で、尼崎に生まれ、11才の時に出家して仏門に入った。高野山で修行に励み、妙法寺住職となってから本格的に国学研究に専念した。徳川光圀から以来され、「万葉代匠記」を記すなど、我が国、国学の発展に尽力した。寺には光圀から寄進された香炉が残っており、毎年秋に開催される東成歴史文化祭~暗越奈良街道の時に展示される。また、妙法寺のクリは御堂筋の拡張工事に伴い密寺から移築された物で、江戸時代中期の建築物として大阪府有形文化財に指定されている。又妙法寺境内には契沖の供養等と慈母の墓があり、昭和24年(1949)に、荘契沖遺跡として大阪府顕彰史跡に指定された。宝暦(1751~64)年間、妙法寺は一時衰退したが、伯中法典和尚が住職となって、大黒点信仰を鼓吹してからは参拝する人が増え、「南にては今宮のゑびす、東にては今里の大黒」とまでいわれるようになった。
所在地:大阪府大阪市東成区大今里4-16-50
最寄駅:大阪市営地下鉄千日前線「今里駅」
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