2015年12月16日水曜日

唐船が淵

『日本書紀』によると、応神天皇37年、阿知使主(あちのおみ)・都加使主(つかのおみ)をくれに遣わして縫工女(きぬぬひめ)を求め、呉の王から呉織・穴織らを与えられ、同41年、阿知使主らが摂津国武庫に帰ってきたとされている。池田では、この縫工女たちが池田の地に来て機織りをはじめたとする「クレハトリ・アヤハトリ伝承』が生まれ、彼女たちを乗せた船が着いたと伝えられた所を「唐船が淵」とよぶようになった。「唐船が淵」は、江戸時代の『摂陽群談』(1701)や『摂津名所図会』(1798)などにも記載されていることから、そのころには広く人々に知られていたことがうかがえ、史実にもとづくものではないが、今日まで語り継がれている。
所在地:大阪府池田市新町~木部町(猪名川中橋東詰北側)

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