柏原藩は丹波国氷上郡柏原に陣屋を置いた外様の小藩である。藩主は江戸期を通じて織田家だが、一旦廃絶となり、45年間の天領支配を経て別系統の家が入封したため、前期織田家と後期織田家に分けられる。前期織田家は豊臣時代の慶長3年(1598)、信長の弟信包が伊勢安濃津から柏原3万6000石に移封されたのに始まり、信包の死後に起った相続争いの危機を乗り切って信則・信勝と続いたが、信勝は慶安3年(1650)、嗣子のないまま28歳の若さで没し、所領を没収され3代52年で絶家、廃藩となった。45年後の元禄8年(1695)、信長の2男信雄の系統である織田信休が大和松山より2万石の新領主として入り柏原藩を再興、これが後期織田家で、以後明治まで信朝・信旧・信憑・信守・信古・信貞・信敬・信民・信親と10代173年にわたって在封した。歴代藩主には資質英邁な人物が多かったが、藩の財政は慢性的に厳しく、初代信休の入封早々に領内の村々で年貢軽減を願う愁訴が発生したほか、文政7年(1824)と天保4年(1833)に大きな農民一揆が起り、また家中でも2度の御家騒動があるなど失政が目立ち、藩状は幕末まで不安定であった。明治4年(1871)7月、廃藩、藩領は柏原県、11月に豊岡県となり、明治9年(1876)、兵庫県に編入された。明治17年(1884)、最後の藩主信親が華族令によって子爵を授けられている。
藩邸は信休の代の正徳4年(1714)に完成したが、文政元年(1818)に火災で焼失し、現存するのは文政3年(1820)頃に再建されたものである。なお、柏原は織田家ゆかりの地、というのが観光の売りでもあるようで、町のあちこちで木瓜の家紋や「陣屋跡まで××メートル」と書かれた標識を見ることができる。実際の織田家は柏原の民にとって必ずしもいい領主ではなかったはずだが、今となってはそんなことは大した問題ではないらしい。
再建されたものの明治維新の後に解体されて、現在では当時の約5分の1、旧表御殿の部分だけが残っています。
国指定の史跡です。
入場など 見学200円(柏原歴史民俗資料館と共通)
時間 9~17時(入館は~16時30分)
休み 月曜(祝日の場合は翌日)
住所 兵庫県丹波市柏原町柏原633
TEL 0795-73-0177
交通 JR柏原駅→徒歩10分
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