1614年の大阪冬の陣の際に大阪市城東区鴫野東のあたりで豊臣方と徳川方の激戦があったと言われているのがこの「鴫野古戦場跡」である。説にもよるため一概に言えないのだが、大阪冬の陣の際に鴫野・今福の付近で大きな戦があったことは事実である。地形的には旧大和川の支流が分流して、深田が多く大規模線j等には不向きだったらしい。そこで双方は銃撃戦で望み、合間に堤防上で遭遇戦を繰り返した。
この時大阪城側(豊臣方)は玉造を守っていた木村重成(冬の陣和睦のときに御勝山の徳川秀忠陣屋へ使者として派遣された)が初陣し、後藤又兵衛と共に今福や鴫野のあたりで奮戦したらしい。徳川方は予想外の抵抗に手を焼き、和睦に持ち込んだそうです。
所在地:大阪市城東区鴫野3丁目(城東小学校内)
JR片町線「鴫野」下車東約300M
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