生根神社は、大阪府大阪市西成区玉出にある神社。
○沿革
創建時期は不詳であるが、一帯は住吉大社の神領であったことから、住吉大社摂社であった生根神社(奥の天神。現在は住吉大社から独立)から、少彦名神の分霊を勧請して玉出の産土神としたのに始まると伝えられている。また、それ以前から蛭児命を祀っていたとの伝承もある。洪水で流された西宮神社の神体が当地に流れ着きこれを祀っていたが、西宮神社に神体を返還した後も分霊を奉祀したのが当社の創建であるという。明治初年、大坂の筑前屋敷に祀られていた筑前天満宮を合祀した。1945年3月14日の大阪大空襲で被災し社殿を焼失したが、神体は速やかに住吉の生根神社へ移したため無事であった。戦後仮社殿を造ったのち、1966年10月に鉄筋コンクリート建築の社殿や社務所などを復興した。
○だいがく
生根神社には、「だいがく」が伝えられている。だいがくは漢字表記では「台楽」または「台額」となり、古来から雨乞い神事に使用された、高さ約20mの柱に約70個の提灯を飾り付けた櫓のことである。かつては大阪市南部周辺の神社にも「だいがく」があったとされている。しかし、現存している「だいがく」は、生根神社に保存されている1基のみとなっている。周辺の神社の「だいがく」は第二次世界大戦の戦災で焼失したが、生根神社の「だいがく」は戦時中に疎開させていたため難を逃れた。「だいがく」は1972年3月、大阪府の有形文化財に指定された。現在、7月24日-25日にかけておこなわれる夏祭りの2日間のみの公開となっている。
○こつま南瓜塚
当神社のある玉出の古名を勝間(こつま)村と言い、当地の名産であった小ぶりで、色の濃い、味わい深いかぼちゃを記念した塚。江戸時代の大坂では天王寺蕪と並んで有名ななにわ野菜であった。勝間商人によって、勝間街道を使って大坂まで行商された。中風除け、風邪除けとして冬至にはよく食べられたという。当神社でも冬至に勝間南瓜神事が行われ、参拝者に振舞われる。また、こつまなんきんとは、幼い海女の様に、色が黒く、小柄で、体のよく締まった、肌理の細かい女性を、閨房でもてはやす言葉としても知られている。今東光は著作「こつまなんきん」でそのような女性を描いた。勝間とは本居宣長の著作の名前で知られる玉勝間(たまかつま)と同じ意味(籠?、かごめかごめ?、船?、網?)と考えられ、古代海浜であった当地の歴史的な名前。近隣にある安倍野王子神社の縁起にも安倍野王子神社の位置を示す文言として「玉勝間の艮」という表現で登場する。安倍野王子神社と勝間村の位置関係は、セーマンドーマン模様で、セーマンが五芒星(および安倍晴明)、ドーマンが籠(および芦屋道満)を表現しているという説と関連付け、比較しても興味深い。海人族の呪術に由来する、との説がある。
○交通アクセス
大阪市営地下鉄四つ橋線玉出駅北へ約300m
南海本線岸里玉出駅西へ約400m
○所在地
大阪府大阪市西成区玉出西2-1-10
○例祭
10月9日
主な神事:こつま南瓜祭り(冬至の日)
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