定の山古墳とは、大阪府堺市北区に所在する前方後円墳または帆立貝形古墳。1960年代の区画整理工事により墳丘が著しく変形したが、現在は城の山公園として保存されている。
○概要
ニサンザイ古墳の北500メートルの城の山公園内にある小山が定の山古墳である。墳丘長69メートル、後円部径53メートル、高さ7メートル、前方部幅23.5メートルである。前方部を西に向けており、墳形は前方後円墳というより帆立貝形古墳という方が正しいようである。1950年代後半から1960年代前半までは周濠の痕跡が畦にくっきりと残っていた。1968年(昭和43年)に土地区画整理事業により、墳丘の一部が破壊され著しく変形されてしまったが、墳丘部分の発掘調査が行なわれ、その重要性から保存されることとなり、破壊、変形した部分は復元され現在は公園となっている。なお調査により埴輪列と葺石の存在が明らかとなっている。
○所在地
大阪府堺市北区百舌鳥梅町
○形状
前方後円墳(帆立貝形古墳)
○規模
墳丘長69m
○築造年代
5世紀
2018年6月5日火曜日
土師ニサンザイ古墳
土師ニサンザイ古墳は、大阪府堺市北区百舌鳥西之町3丁にある前方後円墳。
○概要
百舌鳥古墳群の南東の端に位置する。墳丘は3段構築で全長は約290m、後円部の径は約156m・高さ約24m、前方部の幅は約226m・高さ約22.5mで、前方部を西に向けており左右に造り出しがある。日本で8番目の大きさとなっている。現在の周濠は一重だが、二重目の濠が一部確認されている。宮内庁が「東百舌鳥陵墓参考地」に指定しているものの、天皇は埋葬されていないものとされている。5世紀後半の築造と考えられており、百舌鳥古墳群の大型古墳の中では最も時代が新しい。陪塚は3つ以上あったとされるが、大阪府立大学中百舌鳥キャンパス(大阪府堺市中区学園町)構内にある聖塚のみが現存している。
○交通アクセス
南海高野線中百舌鳥駅徒歩18分
大阪市営地下鉄御堂筋線なかもず駅徒歩20分
○所在地
大阪府堺市北区百舌鳥西之町
○形状
前方後円墳
○規模
全長290m
○築造年代
5世紀後半
○特記事項
東百舌鳥陵墓参考地
○概要
百舌鳥古墳群の南東の端に位置する。墳丘は3段構築で全長は約290m、後円部の径は約156m・高さ約24m、前方部の幅は約226m・高さ約22.5mで、前方部を西に向けており左右に造り出しがある。日本で8番目の大きさとなっている。現在の周濠は一重だが、二重目の濠が一部確認されている。宮内庁が「東百舌鳥陵墓参考地」に指定しているものの、天皇は埋葬されていないものとされている。5世紀後半の築造と考えられており、百舌鳥古墳群の大型古墳の中では最も時代が新しい。陪塚は3つ以上あったとされるが、大阪府立大学中百舌鳥キャンパス(大阪府堺市中区学園町)構内にある聖塚のみが現存している。
○交通アクセス
南海高野線中百舌鳥駅徒歩18分
大阪市営地下鉄御堂筋線なかもず駅徒歩20分
○所在地
大阪府堺市北区百舌鳥西之町
○形状
前方後円墳
○規模
全長290m
○築造年代
5世紀後半
○特記事項
東百舌鳥陵墓参考地
2018年6月3日日曜日
御廟表塚古墳
墳丘長75メートルの前方後円墳。独立した古墳である。5世紀中~後半。墳丘長約84.8mの帆立貝形古墳、築造時期は5世紀後半と推定。「耕地開発や宅地開発により、周濠の大半が埋められ、前方部が失われています。」とのこと。今は前方部は完全に住宅地となっています。でも、この古墳、後円部の頂上まで登れます。
所在地:大阪府堺市北区中百舌鳥町4丁544
所在地:大阪府堺市北区中百舌鳥町4丁544
2017年11月7日火曜日
2017年11月5日日曜日
竜佐山古墳
墳丘長61メートルの後円部径43メートル、前方部幅26メートルで、前方部の短い帆立貝形(前方後円墳?)。仁徳天皇陵古墳の外周にあり、陪塚として宮内庁が管理。一部の調査では、葺石と円筒埴輪があり、幅10メートル程の周濠がめぐっていたようですが、埋葬施設などについては不明です。現在は前方部とそのまわりの濠を復元して整備されています。墳丘は宮内庁が管理し、前方部の一部と周濠は堺市が管理しています。5世紀中~後半。
所在地:大阪府堺市堺区大仙中町(大仙公園内)
所在地:大阪府堺市堺区大仙中町(大仙公園内)
乳岡古墳
乳岡古墳は、大阪府堺市堺区石津町2丁に所在する前方後円墳。百舌鳥古墳群に属しており、国の史跡である。
○概要
百舌鳥古墳群西端の低位段丘末端に位置しており、前方部を南西に向けている。現在、前方部の部分の大半が削平され、消滅しているが、元の全長150m、後円部の径94m、高さ14mを測る。もとは周濠を有したが、埋め立てられている。後円部上には念仏寺という寺院が存在したが、後述の発掘調査後、古墳の西方に移転した。
○内部構造と築造時期
1972年(昭和47年)に内部構造の確認のため、後円部で発掘調査が行われており、粘土で覆われた和泉砂岩製の長持形石棺が確認されている。覆っていた粘土中から碧玉製鍬形石3、同車輪石18など、石製の腕輪類が出土している。確認のための小規模な調査であったので石棺の内部は調査されず埋め戻された。出土遺物から4世紀末頃の築造と考えられ、百舌鳥古墳群では最も時期の遡る古墳である。
○所在地
大阪府堺市堺区石津町2丁
○形状
前方後円墳
○規模
墳丘長150m
○築造年代
4世紀末
○概要
百舌鳥古墳群西端の低位段丘末端に位置しており、前方部を南西に向けている。現在、前方部の部分の大半が削平され、消滅しているが、元の全長150m、後円部の径94m、高さ14mを測る。もとは周濠を有したが、埋め立てられている。後円部上には念仏寺という寺院が存在したが、後述の発掘調査後、古墳の西方に移転した。
○内部構造と築造時期
1972年(昭和47年)に内部構造の確認のため、後円部で発掘調査が行われており、粘土で覆われた和泉砂岩製の長持形石棺が確認されている。覆っていた粘土中から碧玉製鍬形石3、同車輪石18など、石製の腕輪類が出土している。確認のための小規模な調査であったので石棺の内部は調査されず埋め戻された。出土遺物から4世紀末頃の築造と考えられ、百舌鳥古墳群では最も時期の遡る古墳である。
○所在地
大阪府堺市堺区石津町2丁
○形状
前方後円墳
○規模
墳丘長150m
○築造年代
4世紀末
鳶塚古墳
鳶塚古墳については、平成10年に行われた確認調査では、直径21mの円墳で周囲に幅2~3m程度の周濠が検出されている。確認調査の際には、堀の中から家型埴輪なども見つかっており、それらの埴輪から5世紀の中ごろから後半に作られたのではないかと考えられている。この古墳は消滅したらしいが大仙公園内に復元されたらしい。
所在地:大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁(大仙公園内)
所在地:大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁(大仙公園内)
2017年11月3日金曜日
田出井山古墳
田出井山古墳は、大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町2丁にある前方後円墳。
○概要
百舌鳥古墳群の北端に位置し、全長約148m、後円部径約76m、高さ約14m、前方部幅約110m、高さ約15mで、百舌鳥古墳群の中では7番目の大きさである。墳丘は3段に築かれ、かつては二重濠があったと確認されている。墳丘の形態や出土した埴輪より、5世紀後半頃に造築されたと考えられている。陪塚と推定される古墳が数基現存している。反正天皇の陵墓に比定され、「百舌鳥耳原北陵」として宮内庁によって管理されている。ただし、被葬者は不明。また、天皇陵に比定されている百舌鳥耳原三陵のなかで、他の2つの古墳(大仙陵古墳、上石津ミサンザイ古墳)と比べて規模がかなり小さいことから、反正天皇陵であることを疑問視する意見も多く、なかには土師ニサンザイ古墳を反正天皇陵と考える者もいる。
○交通アクセス
南海高野線堺東駅 徒歩5分
○所在地
大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町2丁
○形状
前方後円墳(二重濠)
○規模
全長148m
前方部高さ15m
○築造年代
5世紀後半
○概要
百舌鳥古墳群の北端に位置し、全長約148m、後円部径約76m、高さ約14m、前方部幅約110m、高さ約15mで、百舌鳥古墳群の中では7番目の大きさである。墳丘は3段に築かれ、かつては二重濠があったと確認されている。墳丘の形態や出土した埴輪より、5世紀後半頃に造築されたと考えられている。陪塚と推定される古墳が数基現存している。反正天皇の陵墓に比定され、「百舌鳥耳原北陵」として宮内庁によって管理されている。ただし、被葬者は不明。また、天皇陵に比定されている百舌鳥耳原三陵のなかで、他の2つの古墳(大仙陵古墳、上石津ミサンザイ古墳)と比べて規模がかなり小さいことから、反正天皇陵であることを疑問視する意見も多く、なかには土師ニサンザイ古墳を反正天皇陵と考える者もいる。
○交通アクセス
南海高野線堺東駅 徒歩5分
○所在地
大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町2丁
○形状
前方後円墳(二重濠)
○規模
全長148m
前方部高さ15m
○築造年代
5世紀後半
孫太夫山古墳
墳丘長48メートル、後円部高約7.6メートル、前方部幅約30メートルで、前方部の短い帆立貝形を呈する。仁徳天皇陵古墳の外周にあり、陪塚として宮内庁が管理。5世紀中~後半。一部の調査では、葺石と円筒埴輪があり、幅10メートル程の周濠がめぐっていたようですが、埋葬施設などについては不明です。現在は濠を復元して整備されています。後円部は宮内庁が管理し、前方部と周濠は堺市が管理しています。なお、前方部は、公園造成の時に復元しています。
所在地:大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁目(大仙公園内)
所在地:大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁目(大仙公園内)
聖塚古墳
墳丘直径15メートルの円墳。ニサンザイ古墳の外周にあり、陪塚と考えられる。大阪府立大学の敷地内にある古墳である。しかしこれは古墳でないらしい(09年度に市教委が初めて聖塚古墳を発掘調査したところ、墳丘とみられていた部分(高さ約1.5メートル)の最下層から、江戸時代の磁器が出土し、18世紀以降に土を盛ってつくられたことが判明。市教委は、古墳の可能性が極めて低いと判断した)。
所在地:大阪府堺市中区学園町(大阪府立大学の敷地内)
所在地:大阪府堺市中区学園町(大阪府立大学の敷地内)
七観音古墳
墳丘直径32.5メートルの円墳。履中天皇陵古墳の外周にあり、陪塚と考えられる。大仙公園で保存。公園整備に伴う発掘調査では、墳丘盛土と墳丘裾の可能性のある地山の立ち上がりを確認しました。主体部については未調査のため不明ですが、碧玉(へきぎょく)製の琴柱(ことじ)形石製品が出土したといわれています。また、濠の明瞭な肩や堆積層は検出されていないことから、古墳築造当初から周濠は設けられなかったと推定できます。
所在地:大阪府堺市堺区旭ケ丘北町5丁目(大仙公園内)
所在地:大阪府堺市堺区旭ケ丘北町5丁目(大仙公園内)
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