ラベル 古墳(消滅) の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 古墳(消滅) の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026年8月19日水曜日

ウトジ池古墳群

 和泉市いぶき野四丁目、南海泉北線和泉中央駅の北西に存在した4基からなる古墳群で、現在、中央公園内の古墳の丘に3基の古墳が保存されています。尾根筋に4基の古墳が並んでおり、西側より1号墳は消滅、2号墳は墳丘がほとんどなく痕跡程度。3号墳は径18mの円墳、東端の4号墳は径18mの円墳です。ただ、現場を見に行った感じとしては案内板がなくこんもりとした山のようなものがある程度でこれが古墳なのか不明です。

所在地:〒594-0041大阪府和泉市いぶき野4丁目6?6


@kazubonka

ウトジ池古墳群 ウトジ池古墳群 和泉市いぶき野四丁目、南海泉北線和泉中央駅の北西に存在した4基からなる古墳群で、現在、中央公園内の古墳の丘に3基の古墳が保存されています。尾根筋に4基の古墳が並んでおり、西側より1号墳は消滅、2号墳は墳丘がほとんどなく痕跡程度。3号墳は径18mの円墳、東端の4号墳は径18mの円墳です。ただ、現場を見に行った感じとしては案内板がなくこんもりとした山のようなものがある程度でこれが古墳なのか不明です。 所在地:〒594-0041大阪府和泉市いぶき野4丁目6?6

♬ オリジナル楽曲 - kazubonka

2020年11月15日日曜日

塚本古墳

 ○古墳の概要

古墳時代後期の古墳である。現状は削平されており地表に姿を止めていない。全長約30mの前方後円墳。周濠内から大量の円筒埴輪、形象埴輪が出土している。昭和56(1981)年の発掘調査で発見され、周囲に幅約4m、深さ約0.5mの周壕がめぐることが判明しています。現在、古墳の墳丘は削られ、地上にその姿をとどめてうませんが、その規模から、2段に築造されていたと考えられています。周壕の中からは、古墳の上に立て並べられていた多彩な埴輪(円筒・朝顔形・蓋形・盾形・太刀形・家形・人物形・動物形など)や古墳に備えられた土器が出土し、その中には岩見型埴輪と呼ばれる特殊な形のものもあります。このことから、古墳の規模は小さいながらも大きな権力を持っていたことがうかがえ、乙訓地域の首長墓系譜を考える上で重要な古墳であるといえます。また、墳丘は長岡京の道路(六条条間小路)で削られたことが周辺の発掘調査によって明らかになりました。しかし、当地には「西塚本」や「東塚本」といった古墳を思わせる地名が近年まで残っていました当古墳を後世に伝えるため、モニュメントを設置しました(平成26年3月)。


所在地:京都府長岡京市開田3・4丁目(神足小学校の西、阪急長岡天神駅の東) 








今里車塚古墳

 5世紀前半(古墳時代中期)に造られた大きな墓で真上から見ると四角と円をくっつけた前方後円墳という形である。墳丘は全長75mで、そのまわりに幅約12mの盾形の濠をめぐらしている。昭和54年に行われた発掘調査で、後円部に濠が見つかり、古墳が造られた当時の様子の1部が分かった。墳丘の斜面には川原石がぎっしりと張り詰められ、斜面の途中と頂上にある平らなところには埴輪が立てられていた。又、墳丘と濠の境には全国的に珍しい木製の蓋が並べられていた。なお、後円部にあった死者に備えられたものと思われる鏡の破片が見つかった。この古墳は、市内の勝龍寺にある恵解山古墳と同じく5世紀に乙訓地域を治めた首長の墓で、恵解山古墳よりもやや早く造られたと考えられている。なお、この古墳のすぐ北側からもほぼ同じ時期に造られたと考えられる今里庄ノ淵古墳(全長約40mの前方後円墳)が見つかっている。これら2つの古墳は、のちに長岡京の西二坊大路がこの地に作られた際、濠の一部が埋められたと考えられている。


所在地:京都府長岡京市今里4丁目





2017年11月5日日曜日

鳶塚古墳

鳶塚古墳については、平成10年に行われた確認調査では、直径21mの円墳で周囲に幅2~3m程度の周濠が検出されている。確認調査の際には、堀の中から家型埴輪なども見つかっており、それらの埴輪から5世紀の中ごろから後半に作られたのではないかと考えられている。この古墳は消滅したらしいが大仙公園内に復元されたらしい。
所在地:大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁(大仙公園内)